火薬の爆発により生み出されるドローイングや、花火、壮大なインスタレーションなどで知られる中国人アーティストの蔡國強さん。2008年の北京オリンピック・パラリンピック開会式・閉会式では視覚特効芸術監督を務めるなど、中国を代表する現代美術家のひとりだ。横浜美術館での大規模個展「帰去来」では、たくさんのボランティアとともに新作の火薬ドローイングの制作にも取り組んだ。新作の見どころを中心に、本展への思いを聞いた。
絵画への回帰――色彩で描くキャンバスの火薬ドローイング≪人生四季≫
ニューヨークを拠点として、世界を舞台に活躍する現代美術家の蔡國強さん。作家としてのキャリアをスタートした80年代の後半から約9年のあいだ日本に滞在し、国内のアートシーンとのつながりも深いアーティストだ。蔡さんの作品は、火薬や漢方といった中国の素材へのこだわりや、道教の思想など、中国の文化や歴史に着想を得ながらつくられている。
国内では7年ぶりとなる今回の横浜美術館での個展では、中国の詩人・陶淵明の『帰去来の辞』に由来するタイトルを掲げた。この詩には、官職を辞して故郷に帰り田園に生きる、自らの正しい道に戻り自然に身をゆだねるという、自由な精神がうたわれている。本展には、蔡さんのどのような思いが込められているのだろう?
「もともと自分のキャリアは、キャンバスの上で絵画をつくることからスタートしました。中国では最初、油絵を描いていて、その上に火薬をまいて、爆破したりしていたんです。日本に来た頃も、最初はキャンバス作品をつくっていました。小さい頃から画家になることを夢見ていたんですよ。絵描きになろうとがんばっていた。だんだん大人になっていくにつれて現代美術に出会い、インスタレーションとか、爆発とか、花火とか……スケールの大きい作品、プロジェクトを展開するようになっていきました。そうなると小さい頃の絵描きのイメージからはだんだん遠ざかっていって、そういう点では少し寂しい思いもありますが(笑)。今回はまた日本に戻ってきたという意味も込めて、最初にキャンバスの上に絵画を描いていた時の気持ちに、もう一度立ち戻ってみようと思いました。“帰去来”というテーマには、自然に戻る、絵画に戻るという思いを込めています。」
幼いころから画家に憧れていたと語る蔡さん。近年は北京オリンピック・パラリンピック開会式・閉会式(2008年)をはじめ、APEC首脳会議(2014年)など屋外でのスケールの大きな花火の演出を数多く手掛けている。
「昼の花火と夜の花火では、少し趣が違います。夜の花火は光の表現ですね、爆発して一瞬で消えていきます。一方、昼の花火は特に絵画的なんです。爆発したあとも色のついた煙が空に漂って変化していきます。それは自分にとっては新しい時間と空間の表現になりましたし、可能性を感じました。もともと自分の仕事は、絵からスタートして野外に出ていきました。今回の横浜美術館ではその逆で、野外で展開してきた色のある花火作品、いわば空を大きなキャンバスに見立てて描いてきたものを、実際のキャンバスの上に再現したいと考えたんです。空に描いた色を、キャンバスのうえで表現できるかどうか。それが新たなチャレンジになりました。」
横浜美術館の個展で新たに制作された火薬ドローイングの新作は、8m×24mの和紙作品≪夜桜≫と、4~5枚のキャンバスを1組とした4組のキャンバス作品≪人生四季≫だ。今回の和紙作品の≪夜桜≫は、これまでの蔡さんの火薬ドローイングの中でもっとも規模の大きな作品である。また蔡さんが新たなチャレンジだったと語るキャンバス作品≪人生四季≫は、これまでの火薬ドローイングにはない、赤・青・黄色の三原色が鮮やかな色彩のある作品になった。蔡さんがこれまで取り組んできた「火薬ドローイング」の新境地、より絵画的な表現の「火薬絵画」とも言える作品だ。
今回の展示では新作の火薬ドローイングのほかに、表面に繊細なレリーフが施された磁器作品の≪春夏秋冬≫、横浜美術大学の学生との協働によって制作されたテラコッタによるインスタレーションの新作≪朝顔≫、そして99匹の狼が群れをなして疾走する≪壁撞き≫が発表されている。99は道教において永遠に循環することを象徴する数字だ。
キャンバス作品の≪人生四季≫には、日本の“春画”をモチーフに女の一生が描かれている。少女から成年へ、そして妊娠して年老いていく女性の姿。本展には、自然の中の四季、そして生命の一生など、“循環”のイメージが通奏低音のように流れている。
「妻や娘、そして父と母――。私自身もみんな自然の中にいます。私にとってのアートの力とは、常に厳しい自然、あるいは本質的な自然に直面することです。そして心の中で動いたことを表現できたら、そこにアートとしての力が生まれると私は思います。身体的にだんだん年老いていく私の妻も、自然の一部です。その変化を表現したかった。今年100歳を迎えた私のおばあちゃんは、死にどんどん近づいています。娘たちは大きくなっていつかお嫁に行き、私と妻はやがて二人きりになるでしょう。そういった時間の経過は、私にとっての現実です。その思いをどう表現するか。アーティストができることは、時間のトンネルをつくることだと思っています。そのトンネルを通じて、寂しさも、辛さも、喜びも表現できる。それはとても幸せなことです。人間の命と生活、時間に注目すること。私にとってそれこそ“帰去来”の意味なんじゃないかと思っています。」
アジアの精神をうつす――和紙の火薬ドローイング≪夜桜≫
蔡さんの火薬ドローイングは、その土地のボランティアの方々とともに制作している。あらかじめ予測ができない出会いに作品がゆだねられているのだ。制作のプロセスでは、最初に蔡さんが型紙に下絵を描き、それをボランティアの方々がステンシルのようにカットする。和紙やキャンバスなどの支持体の上にカットした型紙を乗せ、蔡さんが完成図をイメージしながらカットされた部分に火薬をまく。最後にボール紙とレンガの重しを乗せて、支持体のまわりに仕込んだ導火線に火を付けて爆破する――。大きな爆発音と、もくもくと立ち上る煙とともに、火薬ドローイングは完成する。
火薬をまく加減ひとつで、爆破後のドローイングの出来が変わってしまう。火薬をまいて爆破の準備をしたら、あとは仕上がりを神さまに任せるのだそう。
「火薬を使ったりする私の表現における方法論は、コントロールできないこと、偶然性が生まれること、自然の力にゆだねることです。最初から最後まで決まった枠の中で完結するのではなくて、まわりの人々のエネルギーや素材、例えば今回の場合は日本の火薬などの素材とともに動いていくこと。ボランティアの方たちと一緒に作ることもそうです。彼らは創造者でもあり、鑑賞者にもなる。このように自然の流れにゆだねるという方法論は、アジア的なものだと思います。東洋の思想の中には、流れと変化がある。和紙を扱うこともそうですね。和紙はやわらかくて、生きています。そこに墨絵の雰囲気が出る。和紙のうえには東洋の思想を感じます。」
蔡さんが新作の和紙作品で表現しようとしたのは、日本の夜桜だ。制作の際には、明治時代に横山大観らによって試みられた日本画の画法“朦朧体”が意識されたという。輪郭線を用いずに、色彩の濃淡によって空気や光を表現する画法だ。
「和紙の火薬ドローイング≪夜桜≫の制作は、とても難しかったですね。触ったらすぐ落ちそうな優しいイメージの桜を和紙の上に描きたいと考えたんですが、火薬は一瞬の爆発の力、大きなエネルギーを持つものです。日本の和紙も火薬も、扱うのはとても久しぶりでしたし、強い火薬で弱い桜を描くということの難しさと危うさがあった。とても迷いましたが、最終的には制作に取り組もうと決めました。後の日本美術史に影響を与えた岡倉天心の時代、アジアの中では日本の画家たちは、時代の動きを早く捉えてアートの可能性を考えていたのではないかと思います。古典的な絵画から離れ、“朦朧体”を発明しました。何千年もの間、人類は平面の上に絵を描いてきました。絵画によって扱われてきたさまざまなテーマに対して、いろんな立場からアーティストはチャレンジを続けてきた。そういった美術史の巨匠たちの仕事を、自分なりに再解釈したいとも考えていました。」
アジアの文化は、ほかの文化を排除しない開放的なものだと蔡さんは語る。
「アジアは宗教においても排他的ではなかったし、ほかの文化を排除せず、共存したり共生したりすることができる。アジアの人たちは開放的な精神性を持っているのではないかと思います。自分の文化だけが正しいと考えてきたわけではないので、あらゆる国の文化を吸収できるはずです。吸収していくことで、もっと豊かになっていく。私のやっていることも、そういった精神のひとつの現れだと思っています。どこの国に行っても、その土地の影響を受けながら私は作品をつくっている。美学や哲学といったもの以上に、そういった態度がじつはアジア的な価値観だと考えています。」
母国・中国への思い――国際的アーティストの視点
社会主義の国という環境の中で、どのように行動するべきか。幼いころからアートができることを考え続けてきた蔡さん。戦争や武器に用いられてきた火薬の爆発を、火薬ドローイングや花火のアートとして表現することで、平和利用への可能性を提示してきた。世界を飛び回るように移動しながら創作活動を続けるアーティスト、蔡さんの母国への思いを聞いた。
「アーティストは、いつも自分自身を開放しながら、寂しさとともに流れ去るように動いていくことが必要だと思っています。私自身も、小さい頃は社会主義の当時の中国、そして環境に対する強い反発がありました。でも、じゃあ戦おう、政治運動をしよう、という人間ではなかった。アートを通じて自分自身を開放しよう、という思いが強かったです。いつもこの町から離れることや、この国からどこに行くかを考え続けてきました。すごく危険が伴うことで、内緒でやっていましたが、小さい頃はベッドのなかで台湾や外国のラジオを聞いていたんですよ。中国大陸の中に居ながら、別なところにブラックホールを作ったんです。それは私にとって、時空のトンネルでした。私にとってのアートも、そういった経験が影響しているかもしれません。生まれ故郷を離れて上海の大学に行き、そのあと日本にもやって来ました。それからは港から出た船のように、世界中を転々としながら動いてきた。そういった生活には少し寂しさもありましたが、もう慣れてきて今では楽しめるようになりましたよ。空港から出発して、また空港に帰っていく。飛行機の中ではよく寝てご飯もたくさん食べます。映画も見ます。そこにもうひとつ別の世界があるような感じです。私の作品はそういった生活にも影響を受けているかもしれませんね。」
中国を代表する国際的な現代アーティストの蔡さん。世界を舞台に活躍してきたアーティストだからこそ、国家に対しても明確な立場を取っている。
「私は組織には参加しません。現代美術運動も断ります。アジア、特に中国人は、個人で考えることが少なすぎた。なんでも運動にしたり、集団をつくったりして、大きく社会を変化させようという考え方が強かった。一番大切なのは、個人で独立した考えを持つことです。独立した価値観で、自分で責任を持って行動するべきです。ある時、なぜオリンピックの開会式の演出を引き受けたのか、どうして中国の政府に協力するのか、と西洋人から聞かれたことがあります。私はもちろん、彼らが苛立つことも理解できます。しかし、中国政府が中国のすべてというわけではありません。中国の土地や、歴史の流れと文化、そしてこの土地から生まれた私自身もその一部です。この土地と文化に対して、私には感情があります。責任も感じている。オリンピックの開会式では、中国人の力や文化の創造力を見せなければならないと考えていました。私は国際的な現代美術のアーティストとしての経験をある程度持っています。中国とその文化のために、何かやらなければいけないと思うのは当然です。自分がやらなければ、ほかの誰かが手掛けていたであろう北京オリンピックの開会式を見て、他人ごとのように批判するのは簡単なことです。しかし、批判したくなるような開会式を見たくないと思うならば、自ら手掛ければいい。自分が参加することで、この国が少しずつ変わっていくことを願っています。」
近い将来、中国の泉州にシンクタンクを作る構想もあるという蔡さん。一回限りのイベントではなく、長期的な視野を持って中国で何ができるかを考えているのだそう。
世界中を旅してきた蔡さんが、今一度、原点に戻って考えたいというタイミングで巡ってきた今回の横浜美術館での大規模個展「帰去来」。世界で活躍する現代美術家の現在を、ぜひ会場で見届けて欲しい。
※本インタビュー記事は、geidaiRAMによって製作された藤井光監督の蔡國強「帰去来」展メイキングドキュメンタリー撮影の際に行われたインタビューを編集したものです。
インタビュアー:木村絵理子(横浜美術館主任学芸員)
編集:創造都市横浜
協力:東京藝術大学大学院映像研究科 桂英史研究室|geidaiRAM
【基本情報】
蔡國強展「帰去来」
会期:2015年7月11日(土)~10月18日(日)
会場:横浜美術館
●蔡國強(Cai Guo-Qiang)
1957年、中国福建省泉州市生まれ、ニューヨーク在住。上海戯劇学院で舞台美術を学んだ後、1986年末から1995年まで日本に滞在、筑波大学で学ぶ。1995年以降はニューヨークを拠点に活動。
アーティストウェブサイト http://www.caiguoqiang.com/