2018年度の創造都市横浜における若手芸術家育成助成「クリエイティブ・チルドレン・フェローシップ」フェローシップ・アーティストの一人、神里雄大さん。劇団・岡崎芸術座を主宰し、演劇を主要なフィールドとして活動する彼は、『バルパライソの長い坂をくだる話』(2017年)で劇作家の登竜門である第62回岸田國士戯曲賞を受賞するなど、その活動に注目が集まる人物です。
ペルーに生まれ日本に育った神里さんは、沖縄、北海道、ペルーといった自身のルーツや日系移民社会について探りながら、「日本人」の輪郭を確かめるような作品を発表しています。曖昧さや広がりを持った概念として日本人を捉えなおす試みは、ときに不真面目に、そしてときに鋭く、現代を批評していきます。
1月の京都公演に続き、待望の新作『いいかげんな訪問者の報告(アサード・おにぎり付き)』(2019年)を横浜でも上演中(2月9日から17日まで)の神里さんにインタビューしました。南米伝統の焼肉「アサード」をしながら、レクチャー形式での上演を行うという同作は、どんな意図をもってつくられたのでしょうか?
――今日は神里さんがここ数年取り組んでいる作品についてもお聞きしつつ、それ以前の活動についても触れたいなと思っています。『+51アビアシオン、サンボルハ』(2015年初演)は、沖縄からペルーへ移民した神里さんの祖父母の足取りを追ってつくられました。そこから『イスラ! イスラ! イスラ!』(2015年初演)、『バルパライソの長い坂をくだる話』、そして新作の『いいかげんな訪問者の報告』と、島や南米、移民をモチーフとした作品が続いていますが、それ以前はかなり違った作風だったと聞いています。その変化の理由はなんでしょうか?
要するに飽きっぽいというか。2003年に立ち上げた岡崎藝術座は今年で約15年目なんですけど、むしろ15年も同じようなことをできるのが驚きで、作品も作風もそりゃ変わるよって思うんです。例えば10年ぶりに知り合いと会って、「変わらないね」って言われても、褒められてる気はあまりしないですよね。
団体を立ち上げたばかりの頃は古典の文学作品を翻案した作品をやって、チェルフィッチュの岡田(利規)さんの手法に影響されていたときは、当時20代フリーターだった自分の悩み……身の丈に合ったテーマで作品をつくってましたけど、年を重ねてまた関心も変わったと思いますし。結局、その都度ごとの問題意識、関心あることを素直に追っていたら変わったということなんじゃないかなと。でも、自分の態度みたいなものはあまり変わってないとも思ってます。
旅から浮かび上がるもの
――『+51アビアシオン〜』から展開される、自身のルーツ、日本以外の土地に関心が向かった理由はなんでしょうか?
もうすぐ死ぬからとか? ルーツ探しって60代くらいでする話っていうじゃないですか(笑)。正直に言えば、ルーツを探っているつもりはないんです。なりゆきなんです。もともと旅行が好きで、30代に入ってからちょこちょこ国内外に行くようになった。そこでまず沖縄に興味を持って、同時にペルーにも行くことになった。そうやっていろんな場所を旅すると、自分の住んでいる日本や場所がどんどん相対化されるじゃないですか。その経験から得るものが大きいから、こうして作品にしている。
――旅することで、故郷や自分の居場所の輪郭がはっきりするというか。
よく考えてみると、故郷や地元に対する特別な感情もあまりないですけどね。母親は北海道だし、ペルーで育った父親は、出張で海外に行くのがすごく楽しそうで、神奈川県に住みたくて住んだわけでは全然なさそうだったし。代々の家やお墓が神奈川にあるわけでもないので、ここに絶対にいなきゃいけない根拠はまるでない。
そういう流れで、祖母や親戚のいるペルーや沖縄に久々に行ってみた、という感じです。もちろん、観光客では簡単に入れない一般家庭にお邪魔することができたり、お墓参りに参加できたりもする。そういった経験を作品に使っているだけで、「俺のルーツを知ってくれ」なんて気持ちはさらさらない。そう見えているのかもしれないですけど。
――血縁者だけれど、旅行者に近いスタンスと言えるでしょうか。新作のタイトルも「いいかげんな訪問者」ですから。
いざつくってみたら、さほどいいかげんじゃなかった。意外とちゃんとしてましたね。訪問客ではあっても、もうちょっと内側には立つので、グレーなあり方だと思います。現地の人間にはなれないですけど。なりたい気持ちもありますけど。
でも、そもそも隣に誰が住んでいるかわからない都会の環境でずっと暮らしてきた人間ですから、島や南米のような密なコミュニティでずっとやってけるかといえばまたそれはそれで。
内側と外側、どちらでもないこと
――「内側と外側のどちらとも言えない人間」という姿勢は、作品にも反映している気がします。
自分の置かれている境遇みたいなものは大いに影響してると思います。小学校入学直前に引っ越しましたけど、学校の友達であってもクラスはクラス 、団地は団地というような重なっているようでも重ならないその子たちだけの会話があって、小さい頃から知り合い同士っていうグループにはなかなか入れない。文化が違うというか。
それは高校生の頃も同じで、親が外国と関わり合いのある仕事をしていたこともあって「お前たちと俺は違う」って感じだった。まあ、イヤな奴ですよ! それで最近は沖縄や南米に行ってますけど、沖縄のなまりもないし、スペイン語も満足に喋れないから、どこに行っても、人の輪に入れない。
――それが作品に変わった手法を導入する理由でしょうか? いつも迂遠さがありますよね。神話を仮面劇で示したり、あえて学芸会みたいな設えをつくったりして、ダイレクトさを回避するような。
奇をてらうつもりはないんですけどね。『イスラ〜』で仮面を使ったのは、僕が単純に仮面好きだからだし。
――『バルパライソ〜』と『訪問者〜』は、自分の中ですごくつながっていて、発見があったと思っています。それは客席のほうを「デザイン」しようという意思。前者は、暖かい土地で行われる野外パーティ、演芸会、宴会の雰囲気を客席に持ち込んでますし、新作の後者は南米の家庭で行うアサード(焼肉のこと。チョリソーやブロック肉を庭先で調理する)を、上演と同時並行で行ったり、ビンゴパーティをする。こういう設えは当然観客にも影響します。「観劇」という一種の緊張した時間と空間を解きほぐしていくのが、心地いい。
人生の半分くらい舞台のことをやってきて思うことなんですが、いわゆる劇場のモードが苦手なんですよ。友だちと観に行って、開演前はお互いの近況とか話しているのに、作品が始まりそうになるとモードを変えないといけない。本当は「あ、暗くなってきたよ!」とか言い続けたいのに。
なぜ演じてる側と鑑賞者とを完全に分けようとするのか。作品側が観客のあり方を規定してるように見えるのがイヤなんです。と言いながら、ついつい自分もやってしまうから尚更なんですけど。でも、劇場と違って、例えば町の夏祭りってそういう場所じゃないですよね。よい演奏とか演し物があれば急に集中するし、飽きたら酒を飲んだり、トイレに行ったりする。
――自由がありますよね。
こういう場があるってことを、いわゆる現代演劇の劇場が、あまりちゃんと考えてこなかったんじゃないかと。よく知らないですけど!
こっちはこっちでしっかりつくりたいと思ってますが、べつにそんな真面目に見る必要はない。祭りや地域の子供たちの発表会では、クオリティーがどうとか、眠いとかないじゃないですか。興味なければ酒を飲めばよい。祭りそのものをやりたいわけじゃないですけど、そういう要素を使えないものかってことを考えたんです。
その点で言うと、2年前にやったインドネシア公演や4年前の鹿児島での公演はかなりよかったです。例えば鹿児島は、仲良くなった飲み屋のマスターがお客さんを集めてくれて店で上演したんですけど、みんな電話をしに外に出て行ったりする。そういうのが許される空気があったんですよ。言ってみたら「やってる側は真面目にやるけれど、しょせん見世物じゃん」ってスタンスでいいというか。それよりも、もうちょっとコミュニケーションがあったほうが良くて、それで『バルパライソ〜』はああいうスタイルになった。
――同作は家成俊勝さんの空間構成が素晴らしかったです。ベンチとか大きなタイヤとかベッドがバラバラに置かれていて、観客は自分で自由に見る場所を選べるし、発見できる。
どうしても作品って集中を要するものですけど、演劇における集中の仕方に対する了見をもうちょっと広くしたいですよ。いろんな集中の仕方があっていい。
――本来、劇場って複数の時間が流れてるのが当たり前の場所だと思います。作品を遂行してる人の時間があって、お客さんにも一人ひとりの時間が流れてるはずなのに、なんとなくそれをみんな押し隠して「一つの物語を共有できるぞ」という幻想に浸ってしまう。それで成立する芸術形態には強さがあるけれど、今みたいな時代に批評性を持てる気がしない。
「好きに観てね、見づらかったら動いてね」って言うだけでいろいろ楽になりますよね。いっぽうで「自由に座ってください」って指示するのも自分で鼻につくんですけどね。もっと好きにさせろよ、と(苦笑)。
最新作「いいかげんな訪問者の報告(アサード・おにぎり付き)」
――京都に続いて横浜でも上演される『いいかげんな訪問者の報告』は、神里さんにとって初のレクチャー形式のパフォーマンスです。アサードをしながら、アルゼンチンなど南米についての歴史、神里さん自身の実際の経験、そしてフィクションの物語が語られます。
これまでパラグアイやボリビアの話を作品にしてきたんですけど、いちばん長くいたアルゼンチンの話をしてないっていうのもな、というのが一つの理由です。住んでいたことで逆に資料がなかったこともあって、フィクションを当てる、という作り方になっています。
――1899年に日本からペルーへ労働者として移民した日本人男性たちの話や、現在、政変が続くベネズエラからアルゼンチンに逃れてきた若者の話など、さまざまな要素が登場しますね。
僕自身の体験として、「ペルー生まれの日系だよ」って言うと、大体はみんな「ハーフなの?」って聞いてきます。でも「ハーフってなんだよ? お前の日本人の定義ってなんだよ?」と思うんですよ。
社会が二枚舌というか……出稼ぎで日本にやって来ている日系人たちのことを「外人」と言って排除して区別しようとするくせに、例えば大坂なおみ選手が活躍しだすと、急に「日本人が」と言い始める。それはどこの国にもあることで、そういう発言を聞くたびに違和感を覚えます。最近の韓国との関係でも、すぐに国籍や人種のことを言うじゃないですか。「国」っていう長いものに巻かれている感じがイヤなんでしょうね。
もちろん、僕のつくっている作品も倫理的な問題やジレンマを持っています。パラグアイ、ペルー、アルゼンチンと南米の3つの国のことを扱っても、その違いを観客にうまく伝えられてないかもしれない。それを誤魔化して、ステレオタイプな日系移民像にまとめて話してしまっているかもしれない。それって、アジアに置き換えて言えば日本と中国と韓国をぜんぶごっちゃにして話すのと同じようなものですから。
――同時に、20世紀初頭の日系移民と、いまの日本を結びつけるような語り口が同作にはあります。労働力としてペルーに渡って過酷な経験をした日本人像は、あからさまに現在日本で進んでいる外国人就労拡大の議論、技能実習生として最低な労働を強いられている外国人の状況と重なって見えてきます。つまり、およそ100年前に日本と南米の間で起こったことは日本人にとって他人事ではないんだと、作品は訴えている。
今回のテーマはまさにそれです。みんな日系移民のことなんてほとんど知らないですけど、歴史を調べるほどに、日本の社会全体が関係していたことがわかるし、現代日本の姿がチラつきます。遠い昔の話を聞かされてるんじゃなくて、そもそもちゃんと知らないとおかしいことなんです。
しかし、どういうわけか移民って言うと今は「来る」人たちの話として理解されている。ヨーロッパでも同じで、移民という名の「厄介なやつら」が来る、みたいに理解されている。でも、そもそも欧州人こそが、もちろん日本人も、世界中に移民として出ていく側だったんですよ。今は立場が変わったと思いがちだけれど、南米や中東やアフリカの人からすれば「まずお前らがやって来たんじゃねえか」と思うはずなんです。そういう前提をないものにして、「移民は常に厄介」というのはひどい自己矛盾。そこははっきり言っておかないといけないし、自分にも釘を刺さないといけない。
――個々の経済事情は違っても、日本から他の国に渡る日本人も現れはじめているなかで「いまの日本人は移民ではない」と考えるのは安易ですよね。
国なんて、時代と政府によって規定のされ方が変わりますからね。我々が考えている日本人っていうのは、せいぜいパスポートで規定されているだけで、揺らぐことのない絶対的な価値観ではないぞ、っていうのはいろんな土地を旅するようになって思ったことです。自分も謎の「国」像みたいなものに囚われがちだからこそ、それがイヤで、そうじゃなくなりたい。それがあって、いまは作品をやってる感じです。
取材・文:島貫泰介
写真:大野隆介
【イベント情報】
岡崎藝術座レクチャーパフォーマンス
『いいかげんな訪問者の報告(アサード・おにぎり付き)』
2.9 Sat 17:00 (日本語)
2.10 Sun 17:00 (日本語)
2.12 Tue 12:00 (英語)
2.13 Wed 12:00 (日本語)
2.14 Thu 12:00 (英語)
2.15 Fri 17:00 (日本語)
2.16 Sat 17:00 (日本語)
2.17 Sun 17:00 (日本語)
*上記の15分前より入場可能
*上演時間は105分を予定
会場:CASACO
完全予約制 前売:3,500円 高校生以下:1,000円
チケット購入および詳細はWEBサイトから
【アーティストプロフィール】
神里雄大
1982年、ペルー共和国リマ市生まれ。
岡崎藝術座主宰。公益財団法人セゾン文化財団ジュニア・フェロー(2011-2016)
父方は沖縄出身のぺルー移民、母方は札幌出身という境遇のもと、神奈川県川崎市で育つ。10代の数年間にはパラグアイ共和国、アメリカ合衆国などでも生活。2003年の早稲田大学在学中に岡崎藝術座を結成し、オリジナル戯曲・既成戯曲を問わず自身の演出作品を発表。
日常と劇的な世界を自由自在に行き来し、俳優の存在を強調するような身体性を探求するアプローチは演劇シーンにおいて高く評価されている。ここ数年間は、自身のアイデンティティに対する関心の延長線上で、移民や労働者が抱える問題、個人と国民性の関係、同時代に生きる他者とのコミュニケーションなどについて思考しながら創作をしている。『亡命球児』(「新潮」2013年6月号掲載)によって、小説家としてもデビュー。