横浜港発祥の地である象の鼻地区に、市内の文化観光交流拠点の一つとして2009年6月にオープンした象の鼻テラス。アートスペースを兼ね備えたレストハウスという特異な場所でありながら、障がいがある方とプロフェッショナルが協働し、ものづくりを行う「スローレーベル」、そこから発展してアートやパフォーマンスのプロジェクトを行う「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」、夜の横浜を省エネ技術とアートで照らす「スマートイルミネーション」など、先駆的なプロジェクトを発信してきた。
10周年の節目に行われた「フューチャースケープ・プロジェクト」では、アーティストや市民の「あったらいいな」が詰まった100のプログラムを実施。アートにできることを常に模索・実験してきた象の鼻テラスが、市民と共に公共空間のあり方を改めて考えるための10日間のショーケースとなった。ここまでの道のり、そして今後の展望を、アートディレクターの岡田勉さんに伺った。
関係各所との調整プロセスに価値があった
「この10年、アートの創造性をまちにひらくこと、まちで応用するとどうなるんだということを、首尾一貫してやってきました」と語る岡田さん。ド直球だという今回のプロジェクトでは、象の鼻パーク・テラスが持っている基本的な設備・環境面での問題にアーティストから解決策を提案してもらうこと、そして市民から「10秒・10分・1時間・1日・10日・10年」という時間軸でこの場所を使いこなすための提案を公募することを行った。
「たとえば赤レンガ倉庫からプロムナードを歩くと山下公園まで降りられない、夏は暑くて歩いていられない、日陰が少ない、目の前が海なのに親水空間がない。そういった課題が、いくつかの実験的な作品になりました。
椿昇さんの足漕ぎボート《ペリコ》は、昭和30年代ごろにはどこの水辺にもあった足漕ぎボートの残骸をもらってきて、椿さんが象の鼻テラスのシンボル《時をかける象(ペリー)》の子どもとしてつくった《ペリコ》を逆立ちさせてくっつけて、ボートにしたものです。かつてはもっと自由自在に水際で遊んでいたと思うんです。今は安全でゴミ一つなくなり、きれいな水辺ができたのは結構だけど、もっと遊び心を持って市民が気軽に使えると良いのではないかと作品を通じて考えさせてくれます」
公募で集まったアイデアは、奇想天外なものより、「そうだよね」とニーズが再確認できるような提案のほうが多かったという。イベント期間中あたり前のように営業していたオープンカフェも、象の鼻パークの普段の風景を見慣れた人にとっては新しい光景だった。
「今まで、オープンカフェをやろうとしてもテーブルはパークに出せませんでした。でもやっぱりテーブル付の席に座ったり、欄干にもたれながらお茶を飲んだりしたいという人もいて。さらには、自動車のプロモーションをしたい企業もいる。そこで、キッチンカーによるオープンカフェの提案があり、大学からは海が眺められるカウンターの提案がありました。このロケーションを生かしてコマーシャルな写真を撮りたい、プロモーションしたいと考える企業がいるのは当然で、それもこの環境が持っているポテンシャルの一つ。やっぱり需要があるんだとわかるんです。お金がほしいということよりも、まちの大事な資産を有効活用できるということだし、活用することで、文化活動を持続可能にしていくため解決策にもなる。
中には最初のプロポーザルの時点から完成後だいぶ姿、形が変わっているものもあるし、実現しなかったプロジェクトもある。でもその過程で行った関係各所とのやりとりと、そのことを通じて近い将来の公共空間のあり方を皆で考えたことそのものに、今回は価値があると思っています。
昨今、何かを実現する前には社会実験を行いますが、僕らの場合はそれがエキジビションやワークショップを通じてというやり方なんです。それでニーズや兆しをあらわにすることはできるので、それを皆さんに見ていただくことで議論の種になり、明日か明後日かもっと先かはわからないですけど、変化が起きて今よりも社会が良くなっていくんじゃないかなと。ルールを変えるような調整は面倒なのでどうしても脇に置いておくことのほうが多いけれど、面倒くさい思いをして規制を変えて、耕す場を多くすれば良いということが証明されてくるわけです」
アートと市民のあいだを取り持つ
多いときで一日9,000人以上が訪れるという象の鼻テラスでは、子ども、大人、高齢者、障がい者、市民、観光客など、さまざまな利用者の層ごとに取り組みを行ってきた。
「誰もが利用できる場所なので、自分勝手なことを言う方もいますよ。だからこそ、そういう幅広い来訪者に理解されるように取り組んでいます。」
開館当時、新しい場所にどうやって愛着を持ってもらおうかと考えた末に生まれたのが、今も使用されているカラフルなスツールだ。座面に描いてある絵は、カティア・トゥキアイネンというフィンランドの画家をインストラクターに招き、地域の子どもたちと一緒にみんなで描いた。
「もう10年前なので、当時10歳だった子が大人になっている。そういう子がいまだに訪ねてやってきて、これ僕が描いたんですよと言って帰るということが起き始めているんです。長くやっていて嬉しいのはそういうところですよね」
関わり方の時間軸は、その人の目的によってもライフステージによっても違う。「フューチャースケープ・プロジェクト」で募集するプログラムに時間軸を設けたのは、公共空間をもっと使いこなそうという市民のムーブメントが生まれている今、パーマネントなものを考えがちな建築家とは違う視点で楽しみ方を提案してもらおうという試みだった。
「時間のとらえ方は人によって違う。90歳のお年寄りが10年のプロポーザルを書いてきたら面白いですよね。物理的なものではないんだと思うんです。そういうことを考えるのがアートの良いところです」
ではこの10年、市民全体ではアートとの関わり方は変わったのだろうか。
「アートが一般化して、市民の意識が高度化しているようにも見えます。いろんな理由があるのでしょうが、たとえばZOZOTOWNの前澤さんが100億円超でバスキア作品を買ったということが普通にニュースになる。でも一方で、ともすると金額の多寡や支持する人数のような価値に流れていきがちな傾向も強い。僕らはその間でうまくバランサーになり、間を取り持つことをやりたい。
本来アートは極めて個人的な動機から生じているもので、デザインとは異なり共有や問題解決にはつながり難いんです。本質的で純粋なんですね。だからこそ、時に人生や社会のニーズに直接的に作用し得るエッセンスを含んでいます。ポイントはそれを如何に開き、共有するかなんです。
どんなアーティストを招いてきても、構想した作品をどうやって市民に開くのか、分かりやすくコミュニケーションしていくのかということについて、しつこく話をしています。今はプロセスを重視するタイプのアーティストが増えてきているので、以前よりやりやすい状況にはなってきていますね。美術館などではワークショップやレクチャーといった、観客との間を取り持ついろんな装置がありますけど、そういうことではなくて、たとえば一緒にご飯を食べようとか、お弁当を作ってみようとか、ピクニックをやろうとか、もっとこちらから歩み寄れるような、或いは生々しい仕組みを導入しています。それは、アーティストたちのクリエイティビティは深い体験を生み出すために活用し得るんだという確信を持っているからできることなのかもしれません。“ワークショップ(アーティストが様々な人と協働して計画を進める方法)”や“レジデンス(アーティストが滞在制作する)”といった言葉は誰でも言えるようになっているけど、文脈や裏側にある見えない経験みたいなものに裏付けされて使っている人とそうでない人が意味することには、すごく距離があると思うんです。
あとは誰もがそこにリーチできるような情報の整理はやっぱり必要だろうと思います。今日ちょっと用があって大通り公園を歩いてたんですけど、ロダンの彫刻が立ってるんです。みんなロダンの彫刻が見たいと思うと国立西洋美術館に行きますよね。それはそれで多くの作品を観られるから良いんですが、大通り公園にもロダンの彫刻があるとは知らない人が多い。もったいないですよね」
東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて醸成されたものを引き継いでほしい
10周年事業が終わったのもつかの間、夏休みも毎週末のようにイベントがあり、11月には9回目となる「スマートイルミネーション横浜」も待っている。来年に東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)を控える今回は、「人間の身体性・運動・競技」がテーマとなる。昨年から始まった「スマートイルミネーション・サミット」も本格始動し、フランス・リヨンやインドネシア・ジャカルタのキュレーターらを招聘する予定だ。
オリパラ開催によって影響を受けているのは、身体性やスポーツといったテーマだけではない。岡田さんは訴える。
「オリパラを東京でやることになって、日本における社会包摂のまなざしがずいぶん変わりましたよね。これまで様々な社会的理由で活動に参加できなかった人がこんなに大勢いるんだと案外気付かなかったと思うんですが、そういう人たちが普通に活動に参加できなければいけないんだというムードになってきている。これは行政に向けての話かもしれませんが、ここで培われたものを引き継いでほしいなと思うんです。
来年3回目のパラトリエンナーレをやりますが、いまだに満足な稽古場一つ見つかりません。どこも自分たちのニーズに合うものだけ持っているのは当然です。学校の体育館など、大空間はだいたい目的があって作るし、目的があるから使われている。だけど社会的に新しく生じたニーズを受け入れるキャパシティが、どこにもないわけです。もちろん各所に働きかけをして探していますが、なかなか見つからないまま、どうしましょう、見つかりませんねえで終わってしまって、じゃあこうしましょうという話になかなかならない。このままでは活動を続けていくことが難しくなります。レガシーをこの街にいかに定着させるかが課題です。
象の鼻テラスのロケーションは、日本大通りという横浜の重要な軸線の終点でもあり入り口です。ですから日本大通りをもっと魅力的にできたら良いと本当に思っています。けれど、そこをたとえばスローレーベルに参加する障がいがある方の視点で見たとき、関内駅からここに来るまでに、どれだけ障害があるか分からないくらいなんですよ。段差が無数にある、あるいは信号の間隔がやけに短いとか。足が動かないとなった瞬間に、いまだに安全に歩いて来られない。そういうことがちょっとずつでも変わってきたり、議論の俎上に載ったりするといいと思うんです。歳を取ったら誰もが障がい者になるのに、本当にそういうことは後回しになりますからね。自分が歳を取って困ったときにようやく気付くんです」
文化を通してシビックプライドの育つまちへ
10年間象の鼻に通い、多様な利用者の声を聞き、公共空間の活用を実践してきた岡田さんと象の鼻スタッフ。主催・会場協力などを含めて実施してきた展示やワークショップ、マルシェなどの企画は2,000件を超え、参加したアーティストは主催事業だけでものべ約400人、関わった市民ボランティアは約460人、来場者数は340万人を上回った。「いつも『半歩ぐらい早い』と言われる」というその取り組みは、革新を促しながらも、着実に市民に寄り添うようにデザインされている。
「荒野に飛び込むのが好きなので、面倒な思いはたくさんします。でもね、荒野じゃないと楽しくないですよ。あとは当たり前にいいことを躊躇なくやること。今では人気のカフェメニューのゾウノハナソフトも、先っぽがとんがっているとたれやすいから提供する側としてはあまり出したくない形だったんですね。でもそうじゃないと面白くないから、とにかくやろうと。だめなら辞めればいいんです」
そんな岡田さんが昨年スタートしたのが、施設周辺だけでなく横浜市民としてまちに誇りを持ってほしいと立ち上げた「ゾウノハナバレエプロジェクト」。横浜出身の世界的なコンテンポラリーダンサー・安藤洋子さんのノウハウを次世代の若手に伝えようとワークショップを設け、来年の旗揚げを目指している。
「欧米の先進国の主要都市は、オーケストラやバレエ団を持っていて、市民の誇りになっています。いわば団員たちは公務員として活動している。僕も横浜で育ったので、子どもや孫たちが誇りに思えるものがほしい、無いなら作ろうと。日本ではバレエというと鏡やバーがあって、トウシューズを履き、チュチュを着てといったイメージがありますが、本来はもっと広く舞台上で体を使った表現のことを指しています。横浜育ちの才能あるダンサーを育成して、世界的なカンパニーにしていきたいと思っています」
さらに、世界のクリエイティブな港町と相互交流を図る「ポート・ジャーニー・プロジェクト」では、相互交流を持続的に行うことをコンセプトに2011年から活動。来年、これまで交流してきた10都市以上のアーティストやディレクターを招いたミーティングと展覧会を企画している。横浜により誇りを持った地元アーティストや市民が国際交流する姿、そこで得た知見を活かし横浜を使い倒していく姿を楽しみにしたい。
取材・文:齊藤真菜
撮影:大野隆介
【象の鼻テラス】
住所:〒231-0002 横浜市中区海岸通1丁目
アクセス: みなとみらい線「日本大通り駅」徒歩3分
TEL : 045-661-0602
開館時間:10:00~18:00(イベントにより異なる)
年中無休(年末年始を除く)
●PROFILE
岡田 勉(おかだ・つとむ)
横浜市生まれ。東京・南青山にある複合文化施設「スパイラル」のシニアキュレーター。現代美術展などさまざまな企画を手掛け、2009年より「象の鼻テラス」のアートディレクター。神奈川県在住。