創造都市・横浜を経由して様々なフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちが寄稿するシリーズ「around YOK」。第二回は、アーツコミッション・ヨコハマによる若手芸術家助成2017年度・2018年度に参加した劇作家・演出家、山本卓卓さん。山本さんは、6月よりオンライン上にて展開する新たなプロジェクト「むこう側の演劇」を開始。オンラインを上演の場と考え、演劇創作を行われています。ご自身の演劇について、そしていま演劇に取り組むことについて、ご寄稿いただきました。
自己紹介
学生劇団として演劇集団範宙遊泳を発足させて13年目、若手と呼ばれていた時期を経て、活動年数でいえば中堅の背中が見えつつあります。これまでに私はマレーシア、タイ、インド、シンガポール、アメリカのアーティストとコラボレーションをし、中国、韓国、インドネシアで戯曲を公開してきました。国内では北海道、愛知県、京都府、大阪府などへ旅公演を行いました。
東京都在住ですが創作活動の重心は横浜にあり、アーツコミッション・ヨコハマをはじめとする様々な横浜でのサポートを受けてきました。経歴だけ書けば、若手にしては大いに経験を経てきたと自覚しています。若いうちに苦労しろという家訓のもと、荒々しくとも積極的に行動することを心がけてきたおかげかもしれません。結果苦労の対価として経験を得たのだと思えば、現状のむなしさや孤独感は多少癒えますが、それでもやはりこのコロナ禍の時勢、未来への漠然とした不安、もとい未来の日本演劇への不安、は拭い去ることができません。
若手が未来への不安を抱えているなんて絶対よくないですよね。まして現状を憂うのは若い者のすべきことではありません。ですから嘆きを吐露し若者の生気を奪うSNSゾンビたちを尻目に、これまでの経験を基盤に行動を起こそうと発起しました。それがむこう側の演劇宣言です。
宣言の前に
そもそもなぜ私が海外で自作を発表できるまでに至ったかといえば、運である、という身も蓋もない事実は脇に置き、もう少し深く自己分析してみたいと思います。
1.身軽であったから。
2.若手であったから。
3.手法が新鮮で真似できそうだったから。
私が海外との関係を築いたきっかけは2014年のTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)でした。ここで幼女Xという作品を発表してから、雪だるま式に海外からの依頼が増えてゆきました。幼女Xの特徴はプロジェクター1台と二人の俳優で成立することです。つまり大掛かりなセットや凝った照明機材は不要で、最低でも俳優二人と音楽と映像を操作する私がいれば、そしてパソコンとプロジェクターさえあれば上演が可能な点です。
私の知る限り日本演劇でこうしたスタイルのものは当時あまりなかったと思います。もちろんプロジェクターが使われることはあるでしょうが、それが光の役割や舞台美術として展開されるような作品はなかったように思います。多くの場合プロジェクターはオープニング映像を流すために使われたり、プロジェクションマッピングとして使われたりしていました。それらの作品を観ているとプロジェクター=映像を映す物、という錯覚に陥っているのではないかと私は少し不満でした。つまりプロジェクターは光源であるというそもそもの認識、いたってプリミティブなものであるという認識がなされていないように感じていたからです。
たまに私の作品を揶揄して「プロジェクター演劇」などと言われたりもしますが、私からすれば舞台照明にLEDを使用していれば「LED演劇」とでも呼ぶのか、という具合に馬鹿馬鹿しく聞こえます。つまり舞台照明も、まして屋外の太陽光も、プロジェクターも、あくまで光源であり、いってしまえばそれだけ。ただの光なのです。「バリっとした俳優とろうそく一本あれば演劇という虚構は成り立つ」と演劇の本質について語ったのは唐十郎氏ですが、そのろうそくの部分がプロジェクターに置き換えられたところでなんら演劇の本質はブレません。機材がアップデートされただけなのです。
話が逸れましたが、1については上記の通りです。身軽であることはプロデューサーが喜びます。つまりそれは圧倒的に低コストで済むからです。旅公演を行うには様々な費用がかかります。渡航費や宿泊費、現地での移動費、日当(生活にかかわるお金)、そしてギャランティ。これに加えて美術運搬費や照明や音楽を操作する人への人件費など、さまざまなコストがかかります。幼女Xの最低渡航人員は三人、美術運搬費もかかりません。照明と音楽の操作は私一人で行っているので人件費もかかりません。圧倒的に身軽なのです。
2については上記でいうところのギャランティにあたる部分が安く済むからです。演劇界に限らずだとは思うのですが、活動年数と実績は給料に比例します。つまり私たちは若手であったがために、プロデューサーが罪悪感を感じることなくギャランティを低めに設定することができたのです。翻って言えば、大御所になればなるほど、コストが上がり声をかけずらくなります。中堅の背中が見えつつある現在、むしろ若手枠にしがみついてもっと仕事をもらいたいと無様にだだをこねたりもしたいのですが、まあそれは別の話です。
上の写真にあるように、私の手法は文字を多用します。なぜ文字をスクリーンに映すのかというのはあらゆる媒体で語っているのでここでは端的に書きますが、要するに「現代社会で普通に行われているコミュニケーション=SNSやメールなどで行われる文字のやりとり」をそのまま舞台上にのせたかったからです。文字は言霊です。観客がそれを読む時、確実に心の中で唱えています。「しあわせだなあああ」と文字が映されれば、その時いくら不幸せな状態にある観客でさえ、読むことで「しあわせだなあああ」が通り過ぎるのです。
つまり文字を通して観客は舞台の一部になります。文字を心の中で唱えることによって登場人物の一人になるのです。この手法について、そもそも「文字なんか読みたくない」という態度の観客が反発することもありますが、おおむね、新鮮に受け取られます。そして文字に加え、プロジェクターを光として使っていること(すなわち影を生むということ)、この新鮮さにプロデューサーが食いついたわけです。
また私とミーティングをしたプロデューサーが口を揃えて「この作品を自国の若者に見せて、こんなに簡単にできるんだよと教えてあげたい」と言っていたことは結構重要なことだと思っています。彼らは私の渡航と合わせて必ずワークショップをセッティングしました。これはもちろん本番の集客につながる宣伝効果も見越してのことですが、おそらく「真似できる」ことを実践的に教えてほしかったのだと思います。現に、Facebook越しに参加者のその後の活動を追っていくと、私の手法を取り入れている人々も散見されました。とくに東南アジアの影絵の文化と相性が良いらしく、映像と影をミックスさせて子供向け作品を展開する人々もいました。こうした影響が各国の演劇の未来を明るくするのかはわかりませんが、少なくともプロデューサーたちの原初の目論見は成功したのです。
ニューヨーク留学を経てさあやるぞとなっていた矢先
私は2019年の9月頭から2020年の2月末までアジアン・カルチュラル・カウンシルのフェローシップ制度を利用しニューヨークに滞在していました。大学などに教育を受けに行ったわけではないのですが、留学と捉えていただいてかまいません。目的は、人種や宗教や価値観も様々なニューヨークにおいて、普遍的な物語のありかたを探るため、にです。日本演劇とアメリカ演劇を比較するなかで誇らしいと思う点も多少なりともありましたが、数多くの日本演劇の問題点に気づき、結果的には強い危機感を感じました。私が個人的に感じた日本演劇への危機感を要約すると「日本演劇は身近ではない」ということでした。例えばチケットを買う際も、ニューヨークで行われているある程度の舞台芸術(演劇やダンス)はひとつのアプリでワンクリックで買え、チケットもQRコード化されます。ほぼすべての窓口はクレジットカード決済にも対応しているので、当日現金の持ち合わせがなくとも手軽にチケットが買えます。演劇批評も盛んで、そのために批評家のひとことでチケットの売り上げがだいぶ左右するとのことでクリエイター達は戦々恐々としているようですが、それだけ批評も作品も観客に浸透しているということです。
そして着目すべきは、ほとんどの作品が社会問題を扱いながら、ユーモアを必ずといっていいほど含ませている点でした。日本的な言い方をすれば”笑い”です。つまり観客は、数多ある現代アメリカにおける社会問題を笑いながら考えるのです。笑いながら感じ取るのです。少し言い方は悪いですが”笑い”という身近な感情を餌に、芸術的な思想を観客にすり込んでいたのです。笑いは人間にとって非常に身近な感情です。笑って忘れる、のではなく、笑って考える、この構造がとても刺激的で、私は笑い・ユーモアを意識しながら新作戯曲をニューヨークで執筆しました。帰国後4月上旬の上演を目指して、タイトルは「ディグディグフレイミング!」という、炎上や誹謗中傷をテーマに扱った作品でした。しかし2月末、帰国してみると、ご存知のように・・・。公演中止を余儀なくされ、とても悔しいと思う反面「いまこそつくるべき時」という謎の興奮状態にもなりました。しかしフィジカルで集うことを制限されている以上、どうやって演劇をつくればいいのか。ひいては演劇とは何か、という問いにつながっていきました。
寺山修司とむこう側の演劇
演劇とは何か、を考えるうち、私は寺山修司のことを考えていました。アングラ演劇を先導した旗手のひとりであり、詩人であり、競馬評論家であった彼が、もしも現代に私と同じくらいの年齢で生きていたとしたら、といったことを妄想しました。不謹慎だどうだという問題は置いておき、彼はまちがいなく、おもしろがっていただろう、と。自粛の一連で巣篭もりせざるを得ない日常。この新しい日常の中にある人々の身体や生活に「乗っ取り」を仕掛けてゆくだろうと思ったのです。なぜなら寺山は市街劇などを通して観客の日常を無理矢理に脅かすような「乗っ取り」的仕掛けをさんざん手掛けていたからです。
この寺山の理論でゆけば、現在の状況下でターゲットにされる場所は、間違いなく、オンライン上にあると私は考えたのです。つまり、たとえば、オンラインヨガ、オンラインレッスン、などと呼ばれるものは、紛れもない身体の遠隔操作です。講師は「右手をあげてください」と指示する代わりに、「おでこを壁にぶつけてください」と言うこともできるのです。ここには演劇性が生まれ得る、と私は考えました。観客の身体を遠隔的に操作できるのであれば、感情をもまた、操作可能です。劇場で行われていたこと、あるいは寺山が市街劇で行ったことを、オンライン上で実現することも可能である。と思ったのです。つまりオンライン上は、野外劇や市街劇のように、劇場になり得るのだと。むろん寺山のエピゴーネンになるつもりはさらさらないので、私は私なりのオリジナルな発想に基づき「むこう側の演劇宣言」を執筆し、創作をすることにしました。このようにして「むこう側の演劇」という活動の一環として「バナナの花」を制作したのです。
「バナナの花」という作品単体にかける想いはあらゆる媒体で表明していくとして、私自身は「むこう側の演劇」という活動をかなりしつこく、嫌がられたとしても、大失敗したとしても、続けていくつもりです。いつもの演劇(いわゆる劇場で行いチケット収入を得るような)の再開は大賛成ですし、私もはやく行いたいと考えています。しかし「むこう側の演劇」は決して再開されるまでの繋ぎの活動ではないのです。「やっぱり演劇は生で劇場で観るものだよね」という再認識がなされることに異論はまったくありません。しかし「生で一箇所にフィジカルに集うこと」は決して2020年7月現在、気軽で身近な行為ではないのです。
私が留学経験で感じた日本演劇の問題「身近でなさ」は、やはり今後致命的に日本演劇という芸術を、いや、あえて嫌われる言葉を選べば、日本演劇という「ビジネス」を、蝕んでゆくことになると考えています。高いチケットを買って遠くの劇場まで移動して観る、たしかにこの一連の体験の価値は計り知れません。しかし、私たち創作者は「それだけではダメだ」と今回の劇場の閉鎖をうけて痛いほど学んだはずです。それだけではダメなのです。上演中の作品を網羅するアプリがないから、上演の場所が遠いから、チケット購入手順がややこしいから、それだけの理由で演劇を観る意欲が失われる眠れる観客が確かにいるのです。
彼らを見捨て「演劇は特権的なもの」であると振舞う必要があるのでしょうか?演劇は誰のためのものなのでしょうか?YouTubeを一日中観て過ごすひきこもりの人々は演劇を観ることを許されないのでしょうか?演劇も時代に合わせてアップデートされなければならないのは自明です。だって人間のライフスタイルを描くのが演劇でしょう?少なくとも私はそう信じています。現代のライフスタイルのありようを踏襲せずに過去の栄光(シェイクスピアだベケットだチェーホフだ)にすがってふんぞり返っている場合じゃないと、演劇、本気で生き残っていきましょうと。厚かましくとも若手がそれを言わずして誰が言うのでしょうか?
しかし孤独ではある
しかし冒頭で書いたようにむなしく、孤独ではあります。人気俳優や名のあるアーティストとのコラボレーションによってのみ認知度をあげるしかない日本演劇の現状は正直悲惨です。テレビに出ることが俳優の”勝ち”とされ舞台俳優は「好きなことやってるんだから貧乏でもしょうがないよね」みたいなことを周囲に言われる。それについて不満をもらせば「じゃあ辞めちゃえば」と言われる。私はこれまで数多くそういう人々を目にしてきました。そして根本的な問題を改善するための表明すらすることなく彼らは演劇を辞めてゆきます。
批評による援護射撃のなさ、創作者間の連帯のなさ、についても私は不満です。アングラ演劇運動が複数の演劇人の(結果として)連帯で行われたことを忘れてしまったかのように、現代の演劇人は個人的かつ個別的です。フランスのヌーヴェルヴァーグも、シュールレアリスムも、アーティストのみならず批評家(評価も否定もする)との連帯によって生まれたことを私たちは忘れています。彗星の如く現れるひとりの天才を待ち望み救済を乞おうとでも言うのでしょうか。あるいはそのひとりの天才こそ自分だと思い込み連帯を嫌っているのでしょうか。こんなにも狭く小さな演劇、互いを無視し続けることにいったい如何なる価値が生まれるというのでしょうか。演劇がコミュニケーションの芸術である、とは良く言ったもので、真の意味のコミュニケーションで繋がろうと接する人は、俳優にも、演出家にも、批評家にも、スタッフにも、正直今のところ、あまりいません。
だからこそ、と私は私を奮い立たせます。だからこそ、あらゆる手段をつかって私は私の経験と智恵を振り絞って演劇を志向します。世界は変わらないかもしれない。けど、だからこそ、吠えるのです。崖に立つ狼が満月に向かって吠えるさまは、現代では近隣住民への迷惑だと言われ排除の力が働くかもしれません。しかしそれでも、吠えるのです。時間はあまりありません。私は若手のすべき最後の仕事として未来に向かって咆哮します。現代演劇ここにあり、と。
【プロフィール】
山本卓卓(やまもと・すぐる)
範宙遊泳/ドキュントメント主宰。劇作家・演出家・俳優。1987年山梨県生まれ。幼少期から吸収した映画・文学・音楽・美術などを芸術的素養に、加速度的に倫理観が変貌する、現代情報社会をビビッドに反映した劇世界を構築する。近年は、マレーシア、タイ、インド、中国、アメリカ、シンガポールで公演や国際共同制作なども行ない、活動の場を海外にも広げている。『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。
2016年度より急な坂スタジオサポートアーティスト。公益財団法人セゾン文化財団フェロー。ACC2018グランティとして、2019年9月から半年間NYに滞在。
範宙遊泳ホームページ:https://www.hanchuyuei2017.com