彫刻家・ 澄川喜一は昨年米寿を迎えた、日本彫刻界のパイオニア的存在。60年以上の創作活動を一望する首都圏公立美術館で初の大規模個展「澄川喜一 そりとむくり」が横浜美術館で開催された。残念ながら展覧会は新型コロナウィルス感染症防止のため閉幕となったが、この機会に作家自身の言葉でこの展覧会をふり返り見どころを紹介しよう。
「澄川喜一 そりとむくり」展の関連イベントとして2月23日に行われた市民のアトリエワークショップ「抽象彫刻の魅力『澄川喜一の世界』」では、作家自らが作品や制作の意図を解説する貴重な機会があった。
自身のアトリエで作品づくりをするときのオーバーオール姿で現れた澄川さん。
「こんな格好で人前に立つことはめったにしないんですがね」と照れ笑いを見せた。
参加者を先導して展示室に案内した。
展覧会は5つのセクションから成る。
そのプロローグは「はじまりとしての錦帯橋」だ。澄川さんは1931年に島根県で生まれ、14歳のときに旧制の山口県立岩国工業学校機械科に入学し、岩国で約6年を過ごした。岩国の錦川にかかる木造の錦帯橋の構造に魅せられた澄川さんはスケッチを繰り返ししたそう。たびたび回想して、自身の創作の原点と捉えている。
—堅牢と優美さを合せもつ錦帯橋は構造物として立派な芸術品であり優れた環境造形で適材を適所に使い風景に適したモニュメンタルな橋と思う。
(展示室掲示のメッセージより 以下同様)
橋の裏側を捉えた写真を前に澄川さんは「造形がすばらしい。跳ね出し桁工法でできています。この裏側の構造で強度を出しています」と説明。また1950年に台風で橋が壊れて流されていく瞬間を見たときの感想を「泣きました。大好きなおじいさんを亡くしたような気分でした」と語った。
次の展示室「I. いしずえ:具象をきわめる」では、まず東京藝術大学彫刻科の在学時代に師事した平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と菊池一雄の作品の前に立った。平櫛教室に入ったものの、澄川さんが入学した年に定年制が導入されて平櫛田中は退官、その後、菊池一雄に塑造を徹底的に学んだ澄川さん。「最初は粘土の付け方など菊池先生の真似をしていたので恥ずかしいですね」と打ち明け、「《S君》からは自分なりの工夫をするように変わっていきました」と話した。初期の具象作品はのちに澄川さん自身の手でほとんど廃棄されたのだが、残った数点に若い澄川さんの手の動きを感じるようだ。
次に、具象彫刻から抽象彫刻へと展開し、「MASK」シリーズを制作した頃のことを回想。「MASK」シリーズは、甲冑や仮面を見て「人間がいないのに、そこにいるように見える」と感じたことからテーマとなったという。《甲冑》は、上野公園に生えていた桜の倒木を藝大に譲られていたものから彫りだしたもの。《MASK VI》の素材は餅臼を半分にして作った作品だと明かした。また、「MASK」シリーズの最初の頃は、まだノミ跡を残した作風だったが、そこからだんだんとノミ跡を残さない木の美しさを生かした作風にしていったと作風の変化について説明した。
——ぼくの〈MASK〉も窮極的には、道祖神とか馬頭観音のように、旅行く人の道しるべであったり、安全を祈るお守であったり、何か人の精神に働きかけるものでありたい。(同)
「II. 深まり:素材と向き合う」の展示室に進んだ澄川さんは、藝大彫刻科の講師となり、木彫の再興を任される中、アクリルや石などさまざまな素材を用いて作品制作を行うようになったいきさつと思い出を語った。「僕は作品制作にアクリルを使いはじめた初期の作家なんですよ。当時アクリルは高価でしたよ」と説明した。
——木もケヤキ、松、ヒノキとかいろいろありますけど、人間と同じで木によってみんな性格が違います。(同)
「III. ひろがり:公共空間を活かす」は澄川さんの公共プロジェクトを模型や写真で展望するコーナーだ。東京湾アクアライン川崎人工島「風の塔」や、東京スカイツリー®のデザイン監修など、大規模な公共プロジェクトも多く手掛けた澄川さん。展示パネルを前に「東京スカイツリー®は見る角度によって、「そり」と「むくり」が見られるので、いろいろな角度から眺めてみてください」と案内した。また、東京スカイツリー®の足元にあるモニュメントは澄川さんの鎮魂の思いをこめた作品《TO THE SKY》だと紹介した。
——ここは歴史的に災害が多かったところです。米軍の大爆撃を受けています。 (中略)その前は大正の大震災がありました。(中略)たいへんな苦労をされたところだと思います。したがって、神々が、いいチャンスだから五重塔に勝るものをつくれ、これは鎮魂の歴史的なものだと言ってくれたのではないかなと僕は思っています。(同)
横浜市内にも架橋や記念碑をはじめ多くの公共造形物を手掛けたことが知らされる。
大岡川にかかる「道慶橋」(横浜市南区)は、僧侶が持つ錫杖(しゃくじょう)をデザインに取り入れたとのこと。「僧侶が錫杖を持ってシャンシャンと音をさせながら歩くように、「道慶橋」の錫杖部分も風が吹くと音がなるようにしました」との説明に、実際に橋を歩いてみたくなる。
最後の展示室「IV. 匠:そりとむくり」では、木の美しさ、木の持っている特性を生かした「そりのあるかたち」シリーズを解説。「そり」とは日本の伝統的な造形に見られる独特の曲線のことだ。木に寄り添い、自らの表現を求めて模索するなかで、「自然の中で成長した木に「そりのあるかたち」を発見しました」と語る。「木の声を聴き、木と遊ぶ」ことによって素材の性質を最大限に生かした形をつくるという作品群に囲まれるとおおらかな気分になる。
また、作品の裏側に穴を空けて木が割れるのを防ぎ軽くする工夫をしていることや、素材の種類や木目(板目[いため]と柾目[まさめ])の解説があり、作者ならではの創作の秘密が明かされた。作品の裏側を覗いてみたり、さまざまな模様の木目を観察してみたり、という鑑賞の楽しみ方も知らされた。
——私の場合は、自分の思うように木を捻じ伏せるのではなくて、木を木なりに使ってやろう、木の性質を自分のイメージに合わせてやろうと思ったんです。それで〈そりのあるかたち〉になったんです。(同)
参加者からの質問に答えて、「かたちが先か木が先か?同時です。デザインをやってみて木を探して話してみます。言うことを聞きそうかどうか相手探しをするような感じです。でも逆に、素材に生かされるかたちもある。夜中に目が覚めて、こうすればいいと思いつくこともあります」と語った。
作家自身の言葉で作品や制作にかける想いを語ってもらう貴重な機会となった。
取材・文:猪上杉子
写真:森本聡(※をのぞく)
※:提供:横浜美術館
【プロフィール】
澄川 喜一
Sumikawa Kiichi
戦後において彫刻および公共造形の分野を牽引してきた彫刻家。島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)に生まれ、山口県立岩国工業学校在学中に美術を志す。東京藝術大学彫刻科で平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)および菊池一雄に学び、具象彫刻から抽象彫刻、さらには新たな創作領域としての野外彫刻をはじめ、公共空間における造形の分野も切り拓いた。
1970年代後半より「そりのあるかたち」シリーズを展開。自然と対話し、日本の伝統と美意識に根ざしたその造形は、澄川芸術の真骨頂となる。東京藝術大学学長(1995年〜2001年)をはじめ、教育者としても多大な業績を残すとともに、公共プロジェクトや文化行政にも貢献。文化功労者に顕彰され、1998年紫綬褒章、1999年紺綬褒章など受章。
作家ウェブサイトへ
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横浜美術館より「澄川喜一 そりとむくり」展特設サイトのご案内
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、横浜美術館は当面の間、全館臨時休館を延長します。このたびの休館延長に伴い、5月24日(日)までの開催を予定していた「澄川喜一 そりとむくり」は、このまま展覧会を閉幕することとしました。
お問合せ;TEL:045-221-0300(代表 10時~18時、木曜日休館)
https://yokohama.art.museum/special/2020/sumikawakiichi/index.html
展覧会を実際に観ることはできませんが「澄川喜一 そりとむくり」展特設サイトでは、「展覧会の見どころダイジェスト」や「記念対談動画」などご自宅でもお楽しみいただけるコンテンツを公開しています。ぜひご覧ください。
- 展覧会レポート
・360°映像で展覧会の臨場感を体験。「日経VR」で「澄川喜一 そりとむくり」展公開!
・学芸員による「展覧会の見どころダイジェスト」
・「CINRA.NET」記事「小谷元彦が紐解くかたちの芸術。澄川喜一の時代と現代彫刻の課題」
- イベントレポート
・本展関連イベント記念対談「澄川喜一×深井」動画配信
・ワークショップ「抽象彫刻の魅力『澄川喜一の世界』」
(前半)
(後半)