横浜みなとみらいホールの大ホール正面にそびえるパイプオルガンは愛称の“ルーシー”で親しまれている。オルガニストの三浦はつみさんはホール開館から23年間にわたりホールオルガニストを務めているが、12月に退任する。11月には2日間にわたりサヨナラ公演を行なう。“ルーシー”とともに歩んだこれまでの道のりを振り返っていただいた。
1998年に開館した横浜みなとみらいホール。自慢のパイプオルガンを多くの人に聴いてもらうため、オルガンのコンサートや事業の企画に力を入れてきた。愛称の“Lucy(ルーシー)”で呼ばれ広く親しまれている背景には、ホールオルガニストというポジションで開館当初からの23年間、その任務を果たしてきた三浦はつみさんの存在があってのことだ。
三浦さんの任務とは、オルガン事業やコンサートの数々を企画しディレクションをするとともに、自ら出演者として演奏し、司会進行役を務め、さらには教育者として後進を育成し、また オルガン芸術の伝道者としてレクチャー、広報活動を行なうという多岐にわたるものだ。
やり残したことはありません
−−ホールオルガニストとして務めたこの23年間を振り返って、どんなことが思い出に残っていますか?
三浦:「サヨナラ公演」をするとアナウンスしたところ、いろいろな人からそう質問されました。でもずっと目の前のことに追われてきて、いま現在もいくつものコンサートや事業を同時進行していますから感慨に浸ることはまだありません。今年の前半はずっとコロナ禍の影響ですべて延期になったり中止になったりしてじっとしていましたから、ホールが再始動できたことを嬉しく思いながら、11月に集中してしまった公演や事業をやり遂げることに集中します。どうしてこんなに忙しいんでしょうとずっと言い続けている気がしますが、最後までそうなりそうです。
−−たくさんのオルガンのプロジェクトやプログラムを立ち上げられました。ご苦労もあったのではないでしょうか。
三浦:思いついたことを全部口に出してみると、その時々のホールのオルガン事業担当のスタッフがどうやったら実現できるかを一緒に考えてくれました。予算を立てたり、周りを説得したりなど実現に向けて力を合わせた場面はありありと思い起こされますね。ほとんどのアイデアは実現することができたので、やり残したという後悔はなく、ひとまずは役割を終えられたのかなと安堵しています。
三浦さんの発案で始まったオルガンの事業やコンサート、プログラムやワークショップは数多くある。「オルガン・1ドルコンサート」(1998年より235回開催2020年11月現在)、「オルガン・リサイタル・シリーズ」(1998年より45回開催2020年11月現在)、「こどもオルガン・1ドルコンサート(2004年度より「0歳からのオルガン・1ドルコンサート」)」「0歳からのオルガン・コンサート(2007年度より)」「夏休みオルガンわくわく大作戦」「オルガン天国」「シネマ×パイプオルガン」「パイプオルガンと横浜の街」(2019年に始まったオルガン・フェスティバル)、「横浜市立盲特別支援学校ワークショップ」など、対象も多様で、内容も多彩だ。
−−何が推進力だったのでしょうか?
三浦:子どもも大人も、あらゆる人にパイプオルガンの響きに包まれる体験を味わってもらいたいという願いから幅広い対象に向けての企画を考えてきました。でもそれは、オルガン“ルーシー”という楽器が素晴らしいからこそです。楽器が魅力的だったからその魅力を伝えたいという一心でした。オルガンはホールの建物から動かせないものなので、どうしたら聴きにきてもらえるだろうかとずっと考えてきたんです。「オルガン“ルーシー”(「光」というラテン語に由来する)がその名のとおり私の進む道をいつも明るく照らしてくれていたからでしょう」と公演案内に書いたのですが、演奏に向けての練習などでオルガンを弾いているときにふとアイデアが湧いてくることもよくありました。ルーシーと語り合っていると、行き詰まっていた企画の解決策やキャスティング、演出案などを、ルーシー自らが教えてくれるみたいでした。
後進を育成する「教育者」の顔
◆「ホールオルガニスト・インターンシップ・プログラム」
パイプオルガンの事業企画ディレクターであり教育者でありオルガン芸術伝道者であり続けた三浦さん。フェリス女学院大学で教鞭を執っているが、教育者の側面をいかんなく発揮したのは「ホールオルガニスト・インターンシップ・プログラム」 だ。2002年に立ち上げた、全国のホールでもいまだに類を見ない事業だ。このプログラムを通して育成したオルガニストは 23人に上る。
日本のコンサートホールはパイプオルガンを備えたところも数多い。ヨーロッパではオルガン音楽は教会とともに発展した歴史があるが、パイプオルガンをコンサートで聴くスタイルが日本では発展した。そんな日本独特の事情もあって、ホールオルガニストには、演奏の技術の習得だけではなく多くの役割が求められる。そのことを大切に考えた三浦さんはホールオルガニストの育成プログラムの必要性をホールに訴えてこのプログラムを立ち上げた。インターン生は、楽器の操作技術はもちろん、オルガンメンテナンスや、オルガン公演やワークショップを企画し運営する方法などを体験を通して訓練を受ける。研修修了後には「オルガン・1ドルコンサート」に出演してその成果を披露するという機会も得る。
−−「ホールオルガニスト・インターンシップ・プログラム」によって、23人のオルガニストには何を残せたとお考えですか?
三浦: 1年間のインターンシップを修了後、他のホールのホールオルガニストに就いた人もいます。「ルーシーズ」という名前のインターン修了生同士のネットワークができて、ひと声かけると集まってお互いの企画に協力しあうなど実際に機能しています。
でも何よりも大きな成果は、全員ルーシーのことが大好きになってくれたこと。パイプオルガンは誰の持ち物にもなれない楽器ですから、気にかけて大事に見守ってくれる人が必要なんです。もちろんそのために専属のホールオルガニストはいるのですが、一人だけでは足りません。ほったらかしにされていないかを気にかけてくれるサポーターが23人もできたことが最大の成果ですね。
オルガンコンサートの聴衆の拡大−−子どもへのアプローチ
◆「オルガン・1ドルコンサート」「0歳からのオルガン・コンサート」
開館当初に第1回を開催した「オルガン・1ドルコンサート」は、1ドルもしくは100円の料金で平日の昼間に開催し続け、今年11月までに第235回を数える。1000人以上、時には2000人もが気軽にオルガンの響きを楽しんできた(2020年3月〜6月は開催延期、7月からは入場制限を設けての開催)。2001年以降、0歳児からの乳幼児と保護者のために開催している「0歳からのオルガン・コンサート」は、ずらりと並ぶベビーカーの圧巻の光景がおなじみだ。
これらのコンサートでは三浦さんはオルガニストや共演者のキャスティング、コンサートの構成といった制作にかかわるとともに、舞台に登場して司会進行役を務めてきた。わかりやすくオルガンという楽器や楽曲を説明し、さまざまな年代を楽しませる演出や構成の工夫でオルガン音楽に親しむ聴衆を拡大した。
−−オルガン・ファンの裾野が広がりましたね。
三浦:「0歳からのオルガン・コンサート」に来ていた赤ちゃんがすっかり大きくなり夏の夕涼みイベントに来てくれたり、祖父母と孫が一緒に「1ドル・オルガンコンサート」に来てくれたりと、子どもの成長に出会えたり、幅広い世代から愛されている場面を見せていただけて嬉しいかぎりです。
インクルージョンの視点でパイプオルガンを生かす
◆「横浜市立盲特別支援学校ワークショップ」
−−これだけはどうしても引き継いでほしいという手をかけて育てたプロジェクトはありますか?
三浦:基本的には次にホールオルガニストに就任する方にすべてお任せしてどんどん新しい企画を展開してもらいたいと願っています。ただもしもできることなら、インターンシップと横浜市立盲特別支援学校とのワークショップは続けてもらえると嬉しいです。盲特別支援学校とのワークショップは今年も6月に実施する予定だったのですが、延期となり今月に実施されます。学校側も年間スケジュールに組み込んで毎年とても楽しみにしてくれているのですよ。10年前に私とホールの担当者とで企画書を持って学校にプレゼンテーションに行ったときには、学校という場所を出てホールに出かけることだけでも相当な準備がいるからと躊躇されたのですが。パイプオルガンの特性が生徒たちに呼応して楽しんでもらえる、またオルガンインターン生にとっても貴重な実習の場になる、それはホールにとっても意義があると信じて取り組んできました。
ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂; 人種や年齢、性別、障がいの有無などに関わらずすべての人が暮らしやすい社会をつくるという考え方)の視点を持って、パイプオルガンならではの特性を生かしたこのプロジェクトは10年間続いている。
ワークショップの様子はこちらの記事を参考
パイプオルガンの可能性の拡大
◆他の楽器や声楽、異領域との共演
「オルガン・1ドルコンサート」「クリスマス・オルガン・1ドルコンサート」「GRAND ORGAN GALA」などのコンサートでは、弦楽器・管楽器・打楽器奏者、歌手などとの共演によって、オルガン“ルーシー”から新鮮な響きを引き出してみせた。さまざまな楽器の音色や人の声とまさに「息」を合わせるアンサンブルは、パイプオルガンの懐の深さを感じさせてくれた。
また、コラボレーションは楽器や声楽だけにとどまらず、無声映画のスクリーンやダンス、さらに太極拳体験と行なったことも。
このようなコラボレーションは、これまでパイプオルガンに興味がなかった層やコンサートホールに敷居の高さを感じていた人たちに新たな出会いをもたらし、関心や共感を抱いて足を運んでもらうきっかけとなった。
新たな街の魅力を発掘
◆ オルガン・フェスティバル「パイプオルガンと横浜の街」
横浜という街のオルガンとの歴史的な結びつきを生かしたオルガン・フェスティバルを創設したいという三浦さんの長年の願いが実ったのは昨年のことだ。開港地の歴史を持つ横浜は、欧米人が入ってくるのにあわせてキリスト教文化が広がった土地でもある。日本で最も早い時期にオルガンが置かれた街であり、19世紀末には国産のオルガン製作所(西川オルガン) ができるなどオルガンに深いゆかりがある。今も市内のコンサートホールやミッションスクール、教会などの施設で多様なパイプオルガンに出会える。昨年は、市内の3つの教会と2つの学校、2つのコンサートホールを巡り歩きながらパイプオルガンの音色を聴き比べる企画が人気を博し、教会のコンサートには入場を待つ長い行列ができるなど大反響だった。
−−昨年に始まった「パイプオルガンと横浜の街」は三浦さんの横浜でオルガン・フェスティバルをという夢がかなったのでしたよね。今年は残念ながら街歩きという形では開催ができませんでしたね。
三浦:本来は5月から6月に約1カ月の期間をかけて街歩きやコンサートを含む企画が準備されていたのですが、新型コロナウイルスの影響で実施ができなくなり、時期をずらした上で、コンサートと配信という形での開催となりました。コンサートは横浜みなとみらいホールで「オルガン・1ドルコンサート」を3回行い、そして新しい横浜市庁舎のアトリウムでポジティフオルガン(小さな持ち運びのできる パイプオルガン)とバロックアンサンブル演奏会を開きました。
そして私のサヨナラ公演となるリサイタルと、やはり本来は6月にルーシーの誕生日を祝って開催するはずだった「GRAND ORGAN GALA」とで、フェスティバル・フィナーレとして盛大にしめくくりたいと思っています。本来だったら巡り歩いて訪ねて聴いてもらいたかった教会のオルガンの音色は、横浜みなとみらいホールの舞台技術スタッフとともに演奏を収録して、インスタグラムとYouTube で配信*しますのでご自宅でゆったり街歩き気分を味わっていただければと思います。
コロナ禍の状況に思ったこと、そしてこれから
◆サヨナラ公演「三浦はつみオルガン・リサイタル ルーシーとの対話 ―惜別のとき―」「GRAND ORGAN GALA Dear YOKOHAMA, 前へ進もう! 」
“ルーシー”の華麗で多彩な音色は世界中のオルガニストから称賛され、「オルガン・リサイタル・シリーズ」はこれまで44回も開かれてきた。三浦はつみさん自身も1999年、2003年、2007年、2016年と4回のリサイタルに登場した。横浜みなとみらいホールのホールオルガニストを卒業するにあたってのリサイタルはどのような気持ちで臨むのだろう。
三浦: ルーシーとの最後の年の半分は何もできない日々となってしまいました。そんな日々のなかで、このコンサートは「死と再生」をテーマにしようと考えました。そしてそれは同時に私とルーシーとの対話でもあります。
前半はハ短調の重厚なJ. S.バッハの自由作品と、死者を極楽浄土へと導く坂本日菜作曲《九品来迎図其ノ肆》を。バッハの作品は1998年開館当初の「オルガン・リサイタル・シリーズ」に今は亡きジャン・ボワイエを招聘したときに彼が見事な演奏を聴かせてくれた、ルーシーにとっても大切な楽曲。坂本日菜さんは「0歳からのオルガン・コンサート」などでも数々の新作や編曲作品を披露してきた、お抱え作曲家と言ってもいいくらいルーシーを知り尽くした作曲家です。後半はキリストの復活を祝うイースターのグレゴリオ聖歌をもとにしたC.-M.ヴィドールのオルガン交響曲。このヴィドールの作品は1999年に私の最初のリサイタルで弾いた曲です。ホールを離れる今、もう一回弾いてみようと思いました。
最後は歓喜のファンファーレで締めくくりたいと思います。ルーシーの輝かしい響きが、私だけではなく、聴いてくださるみなさまの心を応援してくれると願います。
そして“ルーシー”との23年間のときを祝福するラストコンサートが11月26日にある。「GRAND ORGAN GALA」はもともとは2018年のルーシー20歳のお祝いのコンサートとして始まった。その最後、会場一体となっての「海」の大合唱はこのオルガンがいかに多くの人に愛されているかをひしひしと感じることのできた瞬間だった。
三浦:そうなんです。横浜の聴衆のみなさまは演奏をただ受身に聴くのではなく、演奏に参加する意識が高く、前のめりの姿勢で好奇心と期待感を持って聴いてくださいます。そんなみなさまに愛されて育てていただいたんですよね。今度の「GRAND ORGAN GALA」では今年の困難を乗り越え、ルーシーからみなさまへ、輝くハーモニーとともにエールを送りたいと思っています。
−−困難の時はまだ続いていますが。これからの時代に音楽が果たす役割はどのようなものとお考えですか?
三浦:困難な苦しい状況下で、音楽を聴きたいと強く思いませんでしたか?音楽は人が生きるために絶対に必要なものだとあらためて気づきました。演奏家にとっては音楽を作った人との対話でもあり、その場にいてくださる聴衆とコミュニケートする大事な手段。その必要性に気づいた反面、考え方やものの見方が変わる体験もしました。必要ではない価値にこだわっていた自分にも気づかされたんです。自分だけが良ければいいというような考えは捨てて、本当に大事なことをしっかりと見つめながらこれからも音楽と向き合っていきたいと思っています。
23年間、横浜みなとみらいホールという場所でパイプオルガン“ルーシー”とともに歩み、多くのことを残してくれた三浦さん。子どもから大人まで、障がいのあるなしに関わらず、あらゆる人と音楽の素晴らしさ、パイプオルガンの魅力を共有していった実績、後進の育成をし、オルガニストのネットワークを作り上げ、気鋭の作曲家や海外の演奏家とともにパイプオルガンの楽器としての可能性、音楽表現の可能性を広げた功績−−これらは横浜の街や歴史に根ざしたものでもあり、横浜みなとみらいホールならではの活動として未来へ繋がるものだ。
三浦さんの惜別の辞はこう結ばれている。
「私は今年度をもってホールオルガニストを退き、この素晴らしいバトンを次の世代に委ねることに致しました。来年から始まる大規模修繕ののち、お化粧直しをしたルーシーと新ホールオルガニストが照らしてくれる新しいオルガンの世界を、みなさまとともに楽しみに待ちたいと思います」
取材・文 猪上杉子
【プロフィール】
三浦 はつみ(みうら はつみ)
東京藝術大学音楽学部器楽科オルガン専攻卒業。1996年ボストン・ニューイングランド音楽院でアーティスト・ディプロマ取得。国内外でソロやオーケストラとの共演を数多く行い、2003年にはCD「トッカータ!」をリリース。現在、フェリス女学院大学非常勤講師。横浜みなとみらいホールでは、1998年開館以来、ホールオルガニストを務め、オルガン・1ドルコンサート、こどものためのワークショップなどの企画、ホールオルガニスト・インターンシップなど育成プログラムにも力を入れている。平成19年度横浜文化賞 文化・芸術奨励賞を受賞。