2021-06-04 コラム
#生活・地域 #パフォーミングアーツ

『虹む街』 〜コロナ禍を受け止めて、タニノクロウが横浜の街から想像した、境界のにじむ世界

新型コロナウイルス感染症が私たちの生活に影響を与えるようになってから1年余りが経った。2021年初夏、いまこの現在に、演劇はどのような形で上演されるべきか。どんな内容を描くのか。観客と共にどのような時間を過ごすのか。いまこの世の中に演劇がある意義を、自らの方法で真摯に丹念に、正面から示そうとする劇作家・演出家タニノクロウの新作『虹む街』が6月6日(日)、KAAT神奈川芸術劇場(以降、KAAT)で開幕する。

タニノは近年、自作を故郷・富山を舞台として再創作し市民とともに立ち上げる「タニノクロウ×オール富山」を富山市オーバード・ホールで行っている。この企画が素晴らしいのは、作品のクオリティもさることながら、劇場と街、演劇と地域の住民が軽やかに結ばれ、愉しい関わりをもって成立していることにある。「開かれた劇場」を目指す長塚圭史新芸術監督が、劇場と街、KAATと地域の関わりに取りかかるにあたって、タニノのこうした手腕に期待したのは自然なことだといえるだろう。

そして、タニノは街を歩き、街で呑み、自粛期間にはオンラインで街の人々と交流して、横浜を舞台とした意欲的な作品を生み出した。県民枠として一般公募で出演者を選出し、言語や文化が様々な出演者と共同作業を行ってきた。

本番初日まであと2週間ほどとなった某日、通し稽古を見学したのちに、今回の作品についてタニノクロウに語ってもらった。本稿を読んで『虹む街』の汲み尽くせぬ魅力に触れた人は、ぜひ劇場に足を運んでいただきたい。さらには近日刊行される戯曲本を手に、作品のモデルとなった界隈を歩けば、横浜の面白さを再発見するに違いない。

横浜の街だからできあがった作品なのは間違いない

−−今回は、KAAT神奈川芸術劇場で横浜を題材に作品の創作を進めていますが、タニノさんにとって「横浜」というのはどんな街ですか? また横浜という場所と今回の作品はどんなふうに関係しているのでしょうか?

タニノ:横浜の街を舞台にしたからこそ、今回の作品がこのような形になったのは間違いないです。

ベタにいうと横浜って、異国情緒があって、ロマンチックで、いい感じのバーがあって・・ちょっとした旅気分が味わえるところですよね。東京に住んでいたら、横浜にはデートしにくるのは普通のことというか。あと。野毛は以前から好きなエリアでよく呑みに行っていて、馴染みの店もあります。

僕にとって、今回のコロナ禍で失われた一番大事なことは、旅に行けないことと、呑みに行けないこと。旅に行ったときの思いがけない出逢いが演劇を創るときの刺激になったりもするので、創作意欲に関わる部分もあります。

じゃあ旅に行けないんだったら、旅気分を作品にしちゃえ、というふうになれたのは、横浜がそういう場所だから。その意味でも、横浜だからできあがった作品なのは間違いないな、と思います。

−−近年、タニノさんはご出身の富山市で、市民と共に舞台を創りあげる「タニノクロウ×オール富山」を手掛けられています。舞台から富山の優しさや厳しさといった空気感が漂ってくる作品で、フィクションでありながら、根は現在の現実、劇場で地域にある空気を吸っているという感覚があります。

横浜という地域、KAATという場所でこれを試みるときに、言葉や見た目が違う在留外国人の方が「県民」として舞台を共有しているということは、自然なことであり、重要なことですね。

タニノ:コロナ禍という経験を踏まえて『虹む街』という作品をどうしようかと考えたとき、「演劇とはこういうものだ」という先入観や作法みたいなことを1回全部忘れたほうがいいと思いました。「コロナで1回終わった」という感覚が自分のなかであって、今ここからどう新たに再スタートしていくかと考えると「全部忘れてもいいんじゃないか」と。

何処の誰だかわからないような様々なバックボーンのある人たちが集うものの方が演劇として面白いのでは、と思ったんです。

市民参加、県民参加の劇を創る楽しみって、まず、普段会わないような人と出逢うこと。それで刺激を受けてきた。いま『虹む街』というタイトルで、いろんなものが滲む、境目をなくしていこうと挑戦をしてみています。多様な背景の国の人たちが出ているなかで、どう自分が感じるのか、参加している人が何を思うのか、演劇を通してそういうことを経験する場所を作ろうとしているのかなと思います。

タニノクロウ×オール富山 2nd stage「笑顔の砦 ’20帰郷」(2020年12月/オーバード・ホール)撮影:舘健志

−−知らない人同士が互いの境界を越えて何か新たな経験を共有する場ということですね。出演者の言語が複数あって、思い通りにならない部分もあると思うんですが、難しくはないですか。

タニノ:難しいけど、思い通りになるなんてハナから思ってないし。今は改めて、人間、自然を扱っている感覚が強くあります。言語も多様、文化も違って、コントロールできないことだらけ、だから「演劇っていいな」と思える。

海外公演に行き始めて10年くらい経って、沢山の貴重な経験をしましたが、戦略や計画性を前提とした制作に少し疲れたというか、コロナの少し前から、自分の考えに余白や遊びが無くなっていることに違和感を持ち始めていました。子どもの自由な振る舞いに教えられながら、「自然のあるところに行きたい」とか思っていた。
今回、横浜は都市部だけど、普段出逢わないような県民の方と一緒に、何なのかよくわからない得体の知れないものを創っていっている。少なくとも自分はそれをいいなと思っていて、参加してる人もいいと思ってくれたら嬉しいですね。

−−「演劇で街を創る」という、得体の知れない共同作業を劇場でやっている。どういう「街」になったかを、観客が作品として観るわけですね。

タニノ:最近、地方での活動を通して気づいた魅力の1つは「街は演劇作品として見られる」ということ。商店街って演劇作品みたいだと思うんですね。今回舞台で街をつくってみて改めてそう感じています。

普段生きてて、壁一枚隔てた向こうの空間の人が何を喋ってるとか、どんな生活してるとかは気にしないじゃないですか。だけど演劇のシーン、時間の流れとして結びつきがでてくると、次のシーンにどういう影響を与えるのか、想像すると思うんですね。一見まったく繋がり無いようでも、同じタイムラインに乗っかると、お互いのことを考えざるを得ない。

日常の小さなコミュニティのなかで、よくわからないけど、なんとなくお互い想像しあっている、というつながりがあったら面白いですよね。演劇が世界を変えることまではできないと思うけど、商店街の一角くらいの大きさで、他者を想像して生きていくことができる、孤独にとらわれずに死ぬことができる、という状態が見せられたら、それは演劇のちょっといいところだと思うんです。

−−『虹む街』の作品に漂っている雰囲気というか、人に対する目の向け方に、それは感じます。

タニノ:僕がこういう姿勢になったのは『地獄谷温泉 無明ノ宿』が始まりだったと思います。仏教の考え方の影響を受けて書いて、それから仏教に関心をもつようになったんですけど。

自分というものがあらゆる関係のなかで成り立っている。そのことを無限に想像する作業というのが仏教にはあって、それは演劇にとても近い。また同時に、執着のない、こだわりのない状況というのを目指して修行するのも、演劇に通じる。今回の『虹む街』で思い描いている、境目のない、こだわりのない状況というのも、同じような考え方です。

庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』(2015年8月/森下スタジオ・Cスタジオ)撮影:杉能信介

−−私たちが自覚したり、意識したりしている範囲よりもずっと、人と人や街は関係をもっている。そういう状況が現れては消えていくのを、ずーっと観ていくような作品になっていますね。

タニノ:リアルにそういう状況を目にしたわけではないけど、想像したっていうことなんです。横浜に流れている空気にはそういう面白さがあるんじゃないかと。

−−横浜の空気、街がもつ雑多さだと思いますし、そういう偶然的な寄せ集まりが、タニノさんが作品を通して共有したいことや、求める演劇のあり方と相乗効果を生んでいるということですね。

タニノ:演劇って時間の変容を表していると思うんです。何がいつまで動き続けているのかとか、人がどのくらい動かないのかとか、雨音の強弱だとか、舞台でいろんなレイヤーの時間の流れを感じさせるように創ろうとしています。様々な時間が引き延ばされたり縮められたりするっていうところが、演劇の醍醐味であると思う。改めて今回、そこを見つめ直していて。

−−通し稽古を拝見して、その「時間の変容」にあまり意味がないのが、救いに感じられる気がしました。例えば日本人が鬱々と湿った空気を漂わせているときに、フィリピンの人たちが歓声を上げながら階段を降りてきたり、意味のない繋がりがなんだかホッとする。それが多様性。何でもかんでも合理的でなければならないと思い込まされがちな日常を、換気してくれるような気がします。

稽古開始時、キャストと共に実施した横浜の街歩き

ほぼ小説のような散文形式で台本が書かれた所以

−−公演会場では、近日刊行予定の戯曲本が先行販売されることになっています。取材にあたって台本を拝読しましたが、役柄・台詞・ト書きが書いてあるような戯曲の形式ではなく、ほとんど小説のような散文形式で書かれています。この台本・戯曲の特殊さも今回の重要な要素だと思いますが、これはどのような感じで書かれたのでしょうか。

タニノ:今回、台本を書く上で2つ考えたことありました。
1つは、このコロナの状況が厳しくなって、喋れない、歌えないといった条件が付いたとして、それでも演劇をつくりたいとなったときに自分はどうするのか。創りたいと思えるかどうかも含めて、そういう未来に立ったときに、何に注目して演劇を創るのか。

その時に、きっと僕は「内的なもの」に可能性を感じているんじゃないか、と思ったわけです。つまり普段、演劇では、登場人物がその時に何を感じてるかとか、どういう背景の人物なのかというようなことは、いくら俳優が念じても、それだけでは観客に伝わることは無いわけです。『虹む街』のワンシーンでは、スナックのママが途中で昼寝して、その間に夢をみる。当然だけど、その夢のことはまったく語られない。台本にそういう内的な現象だけを書いて、出演者がその内的なものだけで演技して、舞台が満たされるとしたら、どういう俳優像や舞台ができあがるのか、というのを、今回挑戦してみたかったんです。

感染症拡大という不測の事態が、この構想の実現を加速し、新たな意味づけをもたらすことになりました。「無人」であることの意味が変わりましたし、無観客に向けての演奏に出演料が支払われることにはアーティスト支援という意義が加わりました。このプロジェクトは長期休館のタイミングを待たずに、2020年8月に前倒しで開始になりました。

−−それはいわゆる演劇のつくり方、考え方とはまったく別物ですね。

タニノ:コロナの時期になって、誰しも、自分の精神的な部分、心の部分と向き合わざるを得なかったでしょう。いろんなことが制限されるなかで、向き合わざるを得ない状況があったはずで、だからこそ、コロナの状況で発表するものとして、それ自体を作品にしたほうがいいんだろうと。できあがったものは従来の演劇とかけ離れたものになるかもしれないけれども、上演時間のあいだ、舞台上の俳優が内的なものに満たされているという状態だけを創りたい、という思いはあったかな。今までの台本と大きく違うところはそこなんだと思う。

−−誰しもが自分自身の精神と内的に向き合わざるを得なくなったのはそのとおりだと思います。でもその「向き合っている状態」だけを作品にする、という割り切りというか挑戦は、ちょっとすごい決意でしたね。

タニノ:もう1つは、台本のなかで、観客として登場する人の批判的な目があるということ。舞台には登場しないんだけど、できあがった上演を観ているひとのルポルタージュのようなものが台本として書かれていること。今までも『地獄谷温泉 無明ノ宿』でも、作業としては同じような台本の書き方をしたんですけど、今回はそれをかなり極端にして書いた。

コロナ禍を経験して、世の中の人たちの演劇を見つめる目も変わっただろう、と思うからです。決して、肯定的な目線だけではない、批判的・批評的なものの見方をする人も一定数増えたんじゃないかというふうにも捉えました。
結果的に、自分が演劇をやっていく上での、自己批判・自己批評になるわけだけど、そこがいままでの台本とちょっと違うとこだったと思うし、このこと自体が1つ、モチベーションになったかなと思います。

観客へのメッセージ

−−この作品はまさに「百聞は一見に如かず」だと思うので、劇場に来てご覧いただくのがよいと思いますが、これから来られる方、券を買う方に何かメッセージを届けるとしたら、どんなことになりますか。

タニノ:見馴れた古い街角の話だけど、今はあんまりできない旅の気分が味わえるんじゃないかなと思ってます。外国に行って、お酒呑んで、ホテルまでの道中でちょっと道に迷っちゃったときの感覚に似ているかもしれない。少しドキドキしながら、ちょっとした声にビックリしたり、敏感なときのような感じで楽しめると思います。

あと、「劇場、面白いよ」という感じに受け取ってもらえるといいな、と。県民の人たちが気軽に出演して演劇している企画として楽しんで観てもらいたいなと思います。劇場にこうした企画があったら、けっこう気軽に参加できるものだと思うから。「劇場」を趣味の3番目くらいに入れといてもらえたらいいなと思ってます。

−−タニノさんは以前から、劇場をもっと空気が通う、色んな人が気軽に寄り付くような場所にしていこうとされていますよね。

タニノ:先週まで中スタジオの外側のガラスの窓から、稽古を自由に見学できるようにしていたんです。地域の方、県民の方、東京から見に来てくれた人とか、たくさん色んな人が見に来てくれました。スタジオの中の音は聞こえないんだけど、ガラス越しに触れ合いがあって、それはすごいよかったね。メッセージ書き残していってくれたりもして、僕らがこの状況下でクリエーションをしていく上での力にもなりました。これは定番になっていいんじゃないかなぁ。長塚圭史さんも新芸術監督として「開かれた劇場」というのを掲げてますし。

公演会場は、リハーサル時からガラス窓越しに自由に見学ができ創作の現場を開いていた

−−まず舞台を見て、そして戯曲本を買って読むと、違う旅ができそうですよね。

タニノ:そう。観終わった後、辺りの街を歩くとまた違った出逢いがあるんじゃないかと思います。

横浜って面白いじゃない。変な人も普通にいるし、街も色々。稽古の最初2日間、キャストの人たちと街歩きをしたんですね。野毛から福富町、中華街にかけて、台本を書く時に実際にモデルにした町並みとかがあるので、お客さんにも作品を見た後にその辺もめぐってもらえるといいなと思いますね。戯曲本の創作ノートにそういったことが書いてありますし、当日パンフレットにも街のことが少し書かれています。

−−舞台を観て、台本を読んで、実際の街を見て、それぞれがレイヤーが違う体験で、けっこう長く楽しめそうです。

ありがとうございました。

インタビュー・文:野村政之


【プロフィール】

タニノクロウ(たにのくろう)
1976年富山県出身。庭劇団ペニノの主宰、座付き劇作・演出家。セゾン文化財団シニアフェロー(2015年まで)。2000年医学部在学中に庭劇団ペニノを旗揚げ。以降全作品の脚本・演出を手掛ける。ヨーロッパを中心に、国内外の主要な演劇祭に多数招聘。劇団公演以外では、2011年1月には東京芸術劇場主催公演で「チェーホフ?!」の作・演出を担当。狂気と紙一重な美しい精神世界を表現し、好評を得る。2015年3月ドイツにて新作「水の檻」を発表。2016年「地獄谷温泉 無明ノ宿」にて第60回岸田國士戯曲賞受賞。同年北日本新聞芸術選奨受賞、第71回文化庁芸術祭優秀賞受賞。2019年第36回とやま賞文化・芸術部門受賞。
http://niwagekidan.org/


【インフォメーション】

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「虹む街」

舞台は様々な人種が行き交う古い飲食店街。
スナックやバー、パブ、レストラン、マッサージ店、コインランドリーなどが軒を連ねる。貧しくも逞しく生きる多国籍な人々。
その街で唯一のコインランドリーが閉店することになる。
営業最終日、街の人々が別れを惜しむように訪れ、「洗濯」をしていく。
梅雨のそぞろ雨が奏でる滑稽で哀切溢れる人間ドラマ。

作・演出:タニノクロウ

出演:安藤玉恵・金子清文・緒方晋
島田桃依・タニノクロウ・蘭妖子
+神奈川県民を中心とした街の人たち
【ポポ・ジャンゴ ソウラブ・シング 馬双喜 小澤りか ジョセフィン・モリ 阿字一郎 アリソン・オパオン 月醬 馬星霏】

日程:2021年6月6日(日)~20日(日)
会場:KAAT神奈川芸術劇場<中スタジオ>

公演HP:https://www.kaat.jp/d/nijimumachi

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