2022-03-11 コラム
#生活・地域 #食文化 #まちづくり #横濱ジャズプロムナード

横浜・野毛の日本最古のジャズ喫茶「ちぐさ」が建て替えに ――人が出会い、夢の叶う場所「CHIGUSA Records」

現存する日本最古のジャズ喫茶である横浜・野毛の「ちぐさ」が、開業90年にあたる2023年、ミュージアムとして生まれ変わる予定だ。創業店主・吉田衛(故人)さんの遺志を受け継ぎ、2013年に設立したジャズ専門レーベル「CHIGUSA Records」の制作スタッフに集まっていただき、その果たしてきた役割とレコードづくりの楽しさについて語っていただいた。

取材にご協力くださったメンバー(2022年現在のちぐさ前)

「ちぐさ」の歴史と新しい「ちぐさ」

1933年、“オヤジ”こと故・吉田衛さんが、野毛にジャズ喫茶「ちぐさ」を開業した。1945年に横浜大空襲で焼失し、1947年に再起、2007年まで続いた後に営業していた場所の建て替えにより立ち退きを余儀なくされ、閉店した。その後、ちぐさを愛する人々の手によって2012年に現在地に再開される。

以来、新生ちぐさは、「ジャズの歴史と伝統を大切にし、それを未来につないでいく」ことを使命に活動、2013年にはジャズ専門レーベルの「CHIGUSA Records」を設立し、同時に優秀な新人を発掘、表彰する「ちぐさ賞」を制定した。いまや若手ジャズミュージシャンの登竜門と称されるコンテスト「ちぐさ賞」の優勝者にはレコーディングを実施し、これまでに8人のアーティストがレコードデビューに羽ばたいた。しかし、現店舗の耐震性の問題から、2023年、ミュージアム機能を持ったライブハウスとして生まれ変わることになっている。

「Jazz Museum CHIGUSA」外観予想図*

ジャズ専門レーベル「CHIGUSA Records」の誕生とは

3月11日、この日は「ちぐさ」にとっても特別な日だと言う。一度は閉店したものの、ちぐさを愛する有志たちの努力によって店を再開した日こそ2012 年3 月11日なのだ。そして開業90年を迎える来年2023年3月11日には、今度は「ジャズミュージアム・ちぐさ」という新しい姿に生まれ変わってお目見えする予定だ。

再開してから10年目を迎える今年の3月11日にはレコードレーベル「CHIGUSA Records」の8枚目のアルバム「NEW-COMER A Letter to Someone」が「ちぐさ」店内で先行発売になる(全国発売は3月16日)。

吉田衛さんの生誕100年を記念し、ジャズ喫茶営業に加えて“新生ちぐさ”ならではの企画として2013年に設立したジャズ専門レーベルの「CHIGUSA Records」。同時に優秀な新人を発掘する「ちぐさ賞」を制定し、その優勝者のアナログレコード(LP)とCDを制作・発売してきた。

発案者は、一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館を立上げ再開に尽力した役員たちだが、レコードづくりや賞の運営を実際に支えるのは、横浜と「ちぐさ」を愛する市井の面々である。本職がジャズやレコードの制作にあるわけではない、とても多才な人たちだ。手間暇も費用もかかるLPづくりにこだわり、若手ジャズ奏者たちに付き添い、本業の仕事終わりに「ちぐさ」の店番もする。今回、そんなみなさまに「ちぐさ」の魔力と魅力を語っていただいた。そこから、それぞれが大切しているものと、ものづくりや、ことづくりへの“こだわり”が見えてくる。

「CHIGUSA Records」と東日本大震災

鈴木光さんは「ちぐさ」にとっての3月11日の意味と「CHIGUSA Records」の発端を知るひとりだ。防災コンサルタントとして街づくりに関わってきた経緯が、おもいがけず「ちぐさ」の再興に関わることになったと言う。

鈴木 東日本大震災が起きた直後の2011年4月、陸前高田市のジャズ喫茶「h.イマジン」の冨山勝敏さんを紹介した記事が神奈川新聞に転載されました。それを読んだ「ちぐさ」の元常連客たちが冨山さんのところに激励に駆けつけました。「ちぐさ」はそのとき立ち退きを余儀なくされ閉店中だったのですが、常連客たちは「h.イマジン」の再開のために横浜で支援イベントを開いて応援するとともに、「ちぐさ」の再開を目指そうという動きがわき起こり、私も元々ジャズが好きでサックスも習って演奏し、東北にも演奏しに行っていたので、防災や街づくりに関わっているうちにいつのまにか巻き込まれていました。

2012年3月11日に「ちぐさ」「h.イマジン」は同時に再オープンにこぎつけました。再開直後にはレコードレーベルを立ち上げる構想が自然と立ち上がっていましたね。「CHIGUSA Records」第一弾が発売されたのはその2年後の2014年3月11日のこと、同じ日に冨山さんも陸前高田市の流失した店のあった場所に戻ってバンガローハウスをオープンしました。横浜の野毛のジャズ喫茶と陸前高田市のジャズ喫茶はお互いに励まし合いながら、苦境から立ち上がって、なくしたものを取り戻してきたのです。ですから、3月11日は「ちぐさ」にとっても忘れてはならない大切な日なんです。

鈴木光さん、新村繭子さん、松本祥孝さん

「ちぐさ」の事務局でマネージメント・ディレクターを担っている新村繭子さんもまた、2012年の「ちぐさ」再興に力を尽くしたひとり。街づくりに関わってきた経験から、2010年に「ちぐさアーカイブ展―野毛にちぐさがあった―」の展示をディレクションしたのが「ちぐさ」と関わるきっかけだったと言う。その展覧会では、野毛街づくり会に管理・活用を委託していた旧「ちぐさ」の遺産(LPレコード・コレクション、音響装置、テーブル、椅子、照明器具、ジャズ演奏家の写真パネル、書簡類他)が展示され、旧「ちぐさ」の店舗が野毛のビルの一室の中に実寸大で復元された。

新村 のべ約2,000人もの来場者で連日大賑わいだったんです。「ちぐさ」は横浜の街の「宝」だという思いを多くの人が抱いていることをそのときに知りました。その熱い思いに打たれて、2011年に再開の話が出たときに関わることになり、「ちぐさ賞」や「CHIGUSA Records」の事務局を担当して今に至っています。

2代目「ちぐさ」の2階に再現されていた旧「ちぐさ」*

「第 8 回ちぐさ賞」受賞者、中根佑紀がアルバムデビュー

笠原彰二さんは「CHIGUSA Records」の3年目から制作サポートで関わり、6作目に続いて今回もサウンドディレクターを努めた。

笠原 街づくりに関するプランナーやディレクターをしていたのですが、気がついたら「ちぐさ」に引き込まれていました。「ちぐさ賞」では毎回すごい才能に出会えるのでやりがいのある事業です。そして毎回驚くのは、「ちぐさ賞」を受賞してからレコーディングまでの過程でのアーティストの成長のめざましさ。作品になるという目標や自覚が生まれることや、レコーディングのために自分の演奏スタイルを突き詰める姿勢のためか、どの受賞者もその2か月でぐんと上達し、音楽性や個性が深まります。これこそまさに、生前の“オヤジ”(吉田衛さん)が言っていた「若いミュージシャンを育てたい」という想いの一端を垣間見る思いがします。

今回の中根佑紀さんも、彼のグループメンバーと共に大きな成長を見せましたね。中根さんは過去7作のようなスタジオ録音ではなく、ライブレコーディングを望んだので、レーベル始まって以来初の、録り直しなし、一発勝負の公開ライブレコーディングを実施しました。野毛の「JAZZ SPOT DOLPHY」で1日2ステージ、スタンダードとオリジナルを含めてのべ20曲を吹き切り、その中からLPの条件に合わせて選曲してこのアルバムを制作しました。中根さんもグループのメンバーも「ライブならではのスリリング感がジャズの面白さのひとつだと考えているから」と言うのでその想いを叶えてあげようということになりました。ちょっと不安ではありましたが(笑)。鈴木さんが「ちぐさ」の理事たちを説得して実現したんです。

JAZZ SPOT DOLPHYでの中根佑紀さんのライブレコーディング風景*

松本祥孝さんも今回の中根佑紀さんへの熱い期待を語る。松本さんの本業は料理を撮影するカメラマンだが、鈴木さんと出会って「ちぐさ」のカウンターに入りコーヒーを煎れることになった。そして今回初めてアルバムのジャケット写真の撮影を担当した。

松本 伝説の「ちぐさ」のカウンターには生半可に入ってはならないという怖れがあったのですが、コーヒーを煎れることが僕にとってはジャズに関わることにつながるという決意でおそるおそる引き受けたんです。それが今回、中学生の頃に「LPのジャケットを撮ってみたい」と憧れていた長年の夢が突然に叶ってびっくりしています。中根さんは現役の大学生で21歳という若さながら、しっかりした意志を持つ落ち着いた人柄。ジャケットのために、「ちぐさ賞」の最終選考ライブ以降、3か月もの期間、彼らのすべてのライブや大学のサークル部室にまで追っかけて1000枚ものカットを撮りました。そしてデザイナーがジャケットの表に選んだのは、まさに最後に撮った1000枚目のラストカット。裏面にはメンバーとの演奏写真を使ってもらいました。追っかけて聴いているうちに、彼らのグループとしての成長ぶりを伝えたいと思ったからなんです。

松本祥孝さん撮影による「NEW-COMER A Letter to Someone」のジャケット*

このアルバムのデザイン面やテキストの進行を担当したのが上島洋さんだ。元は大手印刷会社の社員だったので印刷関係には強みがある。関内に拠点を置き世界的に活躍する相澤事務所とのやりとりには当初は気を揉んだと言う。

上島 相澤事務所さんには引き受けていただけるかどうか心配でしたが、ちぐさの「LPジャケット」のデザインということに大いに乗り気になっていただけました。公開ライブにまで来てくださり、1960年代のブルーノート・レーベルのジャケットを思い起こすような、それでいて相澤事務所さんらしくグラフィックが強調された、とてもかっこいいデザインになりました。また今回はライナーノーツについて、収録曲の紹介を中根さんに自分の言葉で書いてもらうことにしました。作品についての思いなど彼の内面を窺い知れる内容になったと思います。

右から、上島洋さん、笠原彰二さん

「ちぐさ」は大人が繋がり、遊ぶ場所

この「CHIGUSA Records」に関わる制作スタッフたちは、ジャズや横浜の街への想いから集結した顔ぶれだ。「ちぐさ」現店舗での営業は4月10日まで、5月に解体となり、新しい「Jazz Museum CHIGUSA」に建て替えとなるが、これまで数々の危機を乗り越えながら再興を果たして運営してきた現店舗が解体となることには、どんな感慨があるのだろうか?

松本 「ちぐさ」には、ジャケット撮影という夢を叶えてもらえて感謝しています。大人の夢を実現できる場であり、大人の部活動のようなもの。でも、これまではどんなに尽くしても何も見返りをくれない“つれない彼女”のような存在だった。きっとそれは新しく建て替わっても変わらないでしょうし、それでいいんです。その“魔性”に虜にされた人と人が繋がることができるんですから(笑)。

上島 そう、でも器の大きな存在でもあって、誰が勝手に利用しても怒らない懐の深さもある。僕自身は、「ちぐさ」に寄贈されたジャズ喫茶のマッチのコレクションを本にするプロジェクトを始めたのですが、昭和の時代への興味を展開できる場として、引き続き取り組んでいこうと思っています。

笠原 かたちは変わっても、“オヤジ”のジャズにかけた執念からは逃れられないでしょう(笑)。

新村 かたちじゃないですよね。この10年間、「ちぐさ賞」「CHIGUSA Records」で夢を叶えたアーティストたちを見守ってきました。もちろんこれからもどちらも継続します。もうすぐ「第9回ちぐさ賞」の募集を開始しますし、ここが解体されても仮店舗で営業も制作も続けます。そして来年の3月11日には9枚目のレコードが新しい建物で発売されるでしょう。どうしてそこまでやるのか?という驚きすらありますが(笑)。

鈴木 とてつもないパワーを持った場所なんですよね。私もここで奇遇な出会いがたくさんありました。みんな何かワクワクしたいと思って集まってきている、大人の遊び場なんです。若いアーティストやジャズ文化や街と出会い、そして東日本大震災に思いを寄せる場所でもあります。建物が新しくなってもそれはまったく変わらないでしょうね。

取材・文:猪上杉子
撮影:大野隆介(*を除く)


【インフォメーション】

中根佑紀LP・CD 3月16日発売
第 8 回ちぐさ賞受賞者、中根佑紀のデビューアルバム「NEW-COMER A Letter to Someone」
3月16日(水)からCHIGUSA RecordsよりCDとアナログレコードが全国発売
※ジャズ喫茶ちぐさ店内では3月11日(金)から先行販売

中根佑紀レコード発売記念ライブ
Debut Album “NEW-COMER” Release Live
日時:3月25日(金)
会場:ジャズ喫茶ちぐさ
https://chigusa-records.jimdofree.com/2022/02/23/

「Jazz Museum CHIGUSA ファンド」が発足
「ジャズミュージアム・ちぐさ」建設にあたり、プロジェクト賛同者募集中
Jazz Museum CHIGUSA ファンド

[建築概要]
店舗名称:ジャズミュージアム・ちぐさ
英文名称:Jazz Museum CHIGUSA
施主  :一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館
代表理事 藤澤智晴
設計  :株式会社 山本理顕設計工場
音響設計:株式会社 永田音響設計
竣工予定:2023年3月11日(土)
工事期間:2022年5月~2023年2月
建物  :敷地面積46.19m2 建物面積35.33m2
延床面積:77.92m2
鉄筋コンクリート構造 地上2階建て
建設場所:横浜市中区野毛町2-94
(現店舗は本年5月に解体し横浜市内で仮店舗営業予定)
館長  :筒井之隆 前カップヌードルミュージアム横浜館長

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