2020-08-11 コラム
#美術 #横浜美術館

ヨコハマトリエンナーレ2020開催中 さとうりささんが手作業で紡いだ長い時間

ヨコハマトリエンナーレ2020が開幕してほぼ一月がたった。新型コロナウイルスの感染拡大という大きな困難に見舞われた中、アーティストたちはどのように制作に取り組み、どういう想いで展示を迎えたのだろうか。

参加アーティストのひとり、さとうりささんは会場のひとつ「プロット48」に通って5ヶ月もの時間をかけて作品を手作業でつくるという体験をした。それはどんなものだったのだろうか。

 

侵入者か迷子か、それとも?

 

「プロット48」会場は横浜美術館から歩いて7分ほどの距離。もともとは子ども向けの施設だった建物を改装した会場で、その面影をところどころ残しながら新しい場所に生まれ変わっている。2つある棟のそれぞれのテラスに空気でふくらんだオブジェの姿がある。鮮やかな黄色と青色のものと、もうひとつはオレンジのものだ。これがさとうりささんの作品「双つの樹」だ。
屋根の下ではあるものの戸外のテラスにきっちりと収まりながらも、日差しを受けて屋根に色を映し、風に揺れて動き出しそうにも見える。

今回のアーティスティック・ディレクター ラクス・メディア・コレクティヴの意向に基づき書かれた会場内テキストはこうだ—

「浮力が高まる−−
この丸くふくらんだ存在が何を企んでいるのか、こうと確信するのは難しい—侵入者がもっとしっかりした足がかりを見つけようとしている可能性もあるし、逃げ出そうとしている可能性だってある。もしかすると迷子なのかもしれない。とはいえ、それなりに親しげに見える。ひょっとすると、このまま自前の不調和な波に乗ってみようと心に決めたのかもしれない。

地面やバルコニーなど、そこここから顔を出す作品は、まるで人間の感情のように、ふくらんだり揺れ動いたり、ときにはまるで建物ごと乗っ取ってしまったかのように見えてきます。
−−周囲とはチグハグに 」

執筆:シュヴェタ・サルダ
翻訳協力:中野 勉
翻訳監修:蔵屋美香・木村絵理子・林寿美・大坂直史

 

さとうさんにこのちょっと不思議な作品ができるまでの道のりを聞いた。

 

「プロット48」にこもりきりのSFのような生活

 

−−作品を作ることになった経緯と、どんな体験だったのか教えてください。

さとう:昨年11月にヨコハマトリエンナーレのキュレーターから正式な出展依頼があり、最初の打ち合わせがありました。アーティスティック・ディレクターのラクス・メディア・コレクティヴからこのテラスの場所に出展するアーティストとして指名を受けたんです。じつはちょうど1ヶ月間のインド滞在へ出発する前でした。まだ新型コロナウイルスの影響がまさか自分の身に降りかかるとは思ってもいないころでした。

制作には2月から取りかかり始め、3月に入ってからは「プロット48」の建物の中に広い部屋を借りて、毎日そこにこもっていました。自分のアトリエを持っていないので「プロット48」自体が制作現場でした。馬車道の自宅から毎日片道20分、4000歩ほどを歩いて通って、ヨコハマトリエンナーレのキュレーターチームの人たちが鍵を開けてくれ、帰る時には戸締りをしてくれました。

材料の布地の 届け先も「プロット48 」にして直送してもらい、出力した型紙を持ってきて布を裁断したり、ミシンを持ち込んで縫ったりと。およそ5カ月間はずっと「プロット48」の中にこもりきりでした。そんなふうに毎日制作していた作家は私一人で、ほかには エレナ・ノックスさんは東京から週に数回来ていましたが。

建物のデザインも独特だし、まるでSFの世界にいるような感覚でした。ひとりで黙々と作業して、終わって外に出ても誰もいない、動いているのはすぐ脇の高速道路を走る車だけで。

 

−−作品づくりの発想はどこから始まるのですか?

さとう:作品は場所との関係性が大切だと考えているので、まずは作品が展示されることになる場所をよく見ることから始めます。テラスという場所を見たとき、ちょっと全体が見づらい場所だな、見上げなければならないなと思ったのですが、「樹」というモチーフを考えていたので、むしろ上を見上げることは コンセプトと合っていると思い直しました。

建物の外壁にはりついて沿うような作品を最初は考えたのですが、風の影響が思いのほかあることがわかり、断念しました。キュレーターの人たちにとっても初めて展示に使う場所でしたから、いっしょに手探りで、場所の調査や実験をしたりしました。その研究の結果、予測できない突風が通ることがわかり、完全な屋外はあきらめて、屋根の下に設置することにしました。

屋外の展示は天候の影響を予測しながら作品づくりをしなければなりません。作品の強度が屋外の条件に対応できるか、毎回、何かしらの不安を感じます。今回も強度を優先してラテックスなどの硬い素材の作品にすることも考えましたが、それだと自分の手を離れてしまって、人任せのオーダーした工業製品のようになってしまいます。それは今の私がここで発表したい作品とはちがうなと思ったんです。それで、使ったことのある生地を自分で縫う作品にしました。つまり、風や雨や日差しなどの気象条件に耐えられるのかという不安をそのまま受け入れることにしたんです。

 

インドで感じた樹への思い

 

−−「双つの樹」というタイトルですが、「樹」のモチーフにはどのような意味がこめられているのですか?

さとう:「プロット48」の3つのバルーン作品と、横浜美術館の屋内に展示したウレタンでできた立体作品との4つ全体で「双つの樹」というひとつの作品です。直前にインドに滞在したときの経験から、大木のような存在のものをつくりたいなと思ったのです。インドでは、南部の都市バンガロールにある美術大学のゲスト講師として招かれ、学生と一緒にとても内容の濃い1カ月を過ごしました。

現地で目にした樹はもちろん、インドでは樹も神様と思われていることや、滞在中に読んでいた小説に「原生林の樹たちは土の中で信号を送り合っている」、「根が脳の働きをしている」などの話が出てきて、それで「樹」をモチーフにするプランがわいてきたんです。

美術館にある立体は「プロット48」の方向に向いています。どちらが正面なのかわからないかもしれませんが、つま先がそちらを向いているんです。二つの場所が地下でつながっているイメージです。

「樹」といえば緑が印象的ですが、そのまま緑色の生地を使うのではなく、作品を見た人の記憶や残像にそれぞれの緑が浮かぶようにと、黄色と青の組み合わせにしました。蛍光色の黄色と青はわずかな色数のなかから選びましたが、結果的にはラクス・メディア・コレクティヴの発信した「発光」という提言にも相通ずることになりましたし、屋根の下では蛍光色であるほうがバランスが取れているように思えます。
また、近くで見上げるより、遠くから眺めたほうがそのものの“らしさ”がよく見えるという点は、「樹」のイメージとつながりました。

横浜美術館の作品と。「双つの樹 白」

 

不安の前借りをして、ゆらぐ作品を見たい

 

−−先ほど「不安」を口にされましたが、「樹」と「不安」とはどういう関係があるのですか?作品からは「不安」なものは感じ取れないのですが?

さとう:もし私の作品に「不安」ではなく「親しみ」や「やわらかさ」を感じ取れるというのであれば、それは私が「不安の前借り」をしているからじゃないかと思います。このように軽くて薄い生地で屋外の展示作品をつくるのはやはり不安です。風で飛ばされたりしないかと心配で、閉館日だった昨日はメンテナンスをしましたし、今朝もうまくふくらむかどうか、空気を入れるところに立ち会ってきました。

「プロット48」のバルーン作品は毎朝、空気を入れてふくらませて、閉館後に空気を抜いてしまっています。世話の焼ける作品なんです。けれど、あの大きさの立体物が空気を抜けば数分で消えるというのが、私にとって何よりの魅力です。

サッと出して、パッとしまって、サクッと逃げられるクールさ(笑)。

私が美大生のころ、鉄や石などでつくられた巨大なパブリックアートが街なかにたくさん建てられていました。そうした「マッチョ」というか「権威」を感じさせるような作品から離れよう、離れようとした末に、今の私の作品があるのかもしれません。 その理由を端的に言い表す言葉をまだ見つけていないのですが。不安を引き受けながら、大きくてゆらめているような作品に身を任せたい。それが今の私の研究課題です。関係者にちょっと迷惑をかけてしまっているかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

自然物って心を癒すものだけど、恐ろしいものでもある、裏腹な存在だと思うんです。私自身がそういうものを見たい、がっちりと固まったものじゃなく、揺らいでいる存在を見ていたいんでしょうね。この作品も天気や日の差し方や時間帯によって、まったく違う顔を見せます。

 

−−バルーン作品は以前からさとうさんの手法のひとつですね?どうやって手づくりするのか工程を教えてください。

さとう:2013年に象の鼻テラスの「ポート・ジャーニー・プロジェクト」の一環で、オーストラリア、メルボルンに派遣してもらい、展覧会を開催したときの「Spaceship ‘Kari-nui’」という作品が全行程を自分で縫った初めての経験ですね。それ以来手法を改良しながらバルーン作品を制作しています。

まずは立体模型を油粘土でつくり、そこから型紙をとります。ポート・ジャーニーの時は型紙60枚くらいのものでした。今回は黄色が200枚くらい、青は100枚くらい、一番小さいオレンジは60枚くらいでしたね。その型紙に合わせて生地を裁断します。そのあとの仮縫いの作業は手縫いなので一番大変です。距離で言うと何㎞か手縫いすることになりますから、すぐに指の皮がカチカチになります。でも、一度ミシンで縫った生地は針跡が残るのため、仮縫いはどうしても手を抜けません。そしてようやくミシンで本縫いです。

*ミシンで縫う作業中のさとうりささん。「プロット48」にて © Risa Sato

 

制作に没頭して救われた

 

−−コロナ禍の中での制作はどんなものでしたか?影響はありましたか?

さとう:バルーン作品を3作品、それに加えてウレタンの立体作品まで、この作業量を完了できたのは、特別な時間の流れの中に置かれて集中できたからだと思います。

当初1月ころにはボランティアの方を募集して型紙や生地を裁断してもらおうという参加型の企画もあったのですが、それは中止になりました。結局いつも通り、ひとりで黙々と作業をしていました。不思議な時間でしたね。

きっと誰もがそうだったと思いますが、季節がすっぽりと抜けてしまったような感じです。でもヨコハマトリエンナーレというゴールのような目標があったから日々規則正しく制作する生活を送ることができて、それは世間の騒動から距離を置けたラッキーな期間だったのかなとも思います。

私は制作作業でこそ救われるんだなと思いました。この半年間、広大なスペースで制作が続けられる状況にあったことは、それだけで最善の状況でしたね。もしもヨコハマトリエンナーレ出展という目的がなかったら、この規模の作品はできなかったと思いますが、自宅で小さく何かを作っていたでしょうね。いずれにしても私の場合は制作をすることでしか精神的安定は得られないと思うので。

 

−−これからのウイルスとの共存の社会はどうなると思いますか?特にパブリックアートは今後どういう意味を持つのでしょうか?

さとう:ある場所に空間をつくり、人を集めたり、みんなで触ったりして共感し合うというパブリックアートの概念が変わっていくかもしれませんね。誰かの所有物ではなく、大勢が共有する、みんなで体験するという意味はいったいどうなるのか−−とても特別なものになってしまうのかもしれません。

アートの世界もヴァーチャルなものが増えるかもしれませんが、私自身はその状況を自由に活用できるようになるにはまだ時間がかかりそうです。今回のような展示会期中にテストとしていろいろ試すといいかもしれない。私がバルーンの中に入ってオンラインで見せるとか?

ともあれ、これからも場所性というものを大切に考えていきます。例えば展覧会場までの行きと帰りの移動時間で、その日に見たものについて考えることって貴重です。移動は思考でもあります。

パブリックアートも変わっていくかもしれないけど、なくならない。と、気楽に構えながら、今は次の作品について考えているところです。

(注意;テラスにある作品のそばには行けません。作家ならではの特権です)

 

取材・文 猪上杉子
撮影  大野隆介(*以外)

 

【プロフィール】

さとうりさ
1972年、東京都生まれ、神奈川県を拠点に活動。
抽象的でありながらも親しみを感じさせる大型のソフト・スカルプチャーを、屋内外を問わず公共のスペースに出現させ、作品を通じたコミュニケーションの可能性を考察する。ワークショップを通じた共同制作なども数多い。「六甲ミーツ・アート芸術散歩2017」(兵庫)、2019年、「フューチャースケープ・プロジェクト」(象の鼻テラス、横浜)、「スリシュティ・インテリム2019」(インド)、「UNMANNED 無人駅の芸術祭2020」(大井川)等に出展。

 

【イベント情報】

ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
展覧会会期:2020年7月17日(金)~10月11日(日) ※開場日数78日
休場日:毎週木曜日(10/8を除く)
開場時間:10:00-18:00
※10/2(金)3(土)8(木)9(金)10(土)は21:00まで開場
※会期最終日10/11(日)は20:00まで開場
会場:横浜美術館 横浜市西区みなとみらい3-4-1
プロット48 横浜市西区みなとみらい4-3-1
主催:横浜市、(公財)横浜市芸術文化振興財団、NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会
アーティスティック・ディレクター:ラクス・メディア・コレクティヴ(Raqs Media Collective)
公式WEB:https://www.yokohamatriennale.jp

 

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