自己紹介
はじめましての方ははじめまして。中村大地といいます。宮城県仙台市で屋根裏ハイツという劇団を立ち上げ、現在は生まれ育った東京(の多摩の方)に暮らしながら活動を続けています。仙台に居た頃からSTスポット横浜では度々公演を行っており、そこで得られる批評や反応に支えられて作品をつくり続けているといっても、言い過ぎではないと思います。
昨年度、ACY-U39アーティストフェローシップを受け、今年の2月にSTスポット横浜で『パラダイス』という作品を制作しました。それだけでなく、2020年5月にはライブカムパフォーマンスと題してYouTube上で作品を発表したり、一度目の緊急事態宣言が明けた7月から9月にかけて、2演目を同時に上演するツアー公演を行ったりもしました。ツアーで訪れる予定だった京都公演を中止にすることにはなってしまいましたが、それ以外のプログラムを事故なく、また、新型コロナウイルスの感染者を出すことなく終えられたことは、なによりもほっとしたことでした。あらためて座組をはじめとする支えてくださった方々、そしてご来場いただいた方々に強く感謝申し上げます。
ガス欠になりました
そんな我々、屋根裏ハイツは今年度ちょっとした小康状態にあります。端的に言ってガス欠です。団体によって創作のペースは様々ですし、単年度に3、4本の作品をつくる劇団はむしろ、都内では平均的なのかもしれません。若手の劇団なんだしそんなことで甘ったれるなという声も受けそうですが、初めての大規模なツアー公演に新作長編の制作という、そもそも団体のキャパシティーを超えるチャレンジの一年を送る予定だった我々にとってみれば、コロナ禍はそこに加わった大きな大きな枷であり、結果的に作品をつくり続けるなんておよそ正気ではやってらんない、というような、ある種の躁状態のなかで走り続けることになってしまったのだと思います。その反動で、ぐうたらした2021年度を送っている。そんな感じでしょうか。
ぐうたらと言っても、何もしていないわけではありません。縁あって「円盤に乗る場」というアトリエ活動に招き入れてもらい、4月からは稽古や上演を目的とせず定期的に劇団で集まっていました。仙台にいたころは、せんだい演劇工房10-BOXという居場所があったり(あとみんなが自転車乗れる範囲に住んでたり)したのですが、東京に来てからは稽古のたびに市民センターを転々とする流浪の民だったので、じっくりだらだらとメンバーと過ごすことの得難さを再認しています。また、同じ円盤に乗る場にて、批評家の渋革まろんさんにご提案いただき、劇団作品の記録映像を旗揚げ公演から順番に見ていく「屋根裏ハイツ全作品を(だいだい)全部観てしゃべる」というイベントをおこなったりもしました。こうした機会を通じて改めて、我々はこれまでなにをやってきたのか、なにを積み上げてきたのか、ということを振り返ることが出来たように感じます。
前置きが長くなりましたが、このコラムではコロナ禍における実践と、その反動でぐうたらと活動を振り返ることとなった2021年の経験を通して、今考えていることについて、書けたらいいなと思います。
Live Cam Performance「ハウアーユー/How are you?」, 2020年
声が小さい劇団と呼ばれて
振り返ってみると私は、演出をはじめた大学の頃から、観客が閉鎖的な空間にお金を払って着席し、じっと集中して舞台を眺めるという劇場公演の仕組みを出来得る限り活用して上演を立ち上げていました。我々の作品を説明する際に「俳優の声が極端に小さい」ということが引き合いに出されますが、それだってまた、この仕組みだからこそ生まれたひとつの発明です。
声を小さくすることには、観客の身体が声を聞くために耳をそばだて、前のめりに上演を追いかけるようになるという効果があります。そうすることで観客は、受動的に座っていたはずの客席から少しだけ前に、舞台と同じ地平にでていく。『ここは出口ではない』という作品で、「出演者と一緒に酒を飲んで、オールして、朝を迎えたように感じた」という感想をいただくことがありましたが、これがまさに、客席から少し前に出て、同じ時間を出演者と共有するという体験をしてもらった方の言葉なのかなと思います。上演時間は100分弱なのにも関わらず、時間にして一夜を明かしたくらいの体感がある。(それは決して退屈だ、ということではないはずです。)その時間感覚のなかで、なにかヘンテコなことだったり、とても特別なことが起こったりするのを楽しんでもらう。観客をそうした状態に誘うための方策として、「小さな声」はありました。
言い換えれば、能動的に上演を観て、共に過ごす体感を楽しんでもらえさえすれば、舞台の出力がいかなるものであろうと構わないのです。どんな場所でも小さい声にしなくてはいけないというわけではなく、空間のサイズ感にちょうどあう声であれば、大きさは特別なんだって構わなかった。小劇場を拠点に作品をつくっていたから小さい声になっていただけであって、もし拠点が屋外だったら、ライブハウスだったら、絶対に小さい声になんかなってないでしょう。外部の音が遮断された極狭い閉鎖空間だからこそ、声を小さくするという手段が生まれた。でもいつのまにか(これはアーティストとして情けない部分でもありますが)、外部の評判などで「声が小さい」と言われるにつけ、自分たちの中でもそれが手段からいつの間にかセールスポイントにすりかわり、がんじがらめになっていた部分もあるのかなと思います。
テアトロコントの経験
その“呪い”を解いてくれたのは、今年の10月末に参加したテアトロコントVol.53 での経験でした。会場のユーロライブは元々映画館だった空間をほとんどそのまま使っていて、舞台はスクリーンの手前にある、いわゆる映画の舞台挨拶が行われるようなごく小さいスペース、客席には映画館のフカフカの椅子があり、舞台の大きさに比して随分と奥行きがありました。
また、テアトロコントはお笑い芸人と演劇の団体がそれぞれ持ち時間30分で入れ替わり立ち替わり上演するという形式をとるイベントです。オープニングとエンディングの出演者紹介があり、それぞれ転換の間にはBGMが流れており、上演の始まりには出囃子がかかり、プロジェクターで団体名が投影され、暗転してはじまる。
小劇場とは全く異なる空間、自分たちの主催公演とは全く異なるイベントの構成、これが前提条件となっていることがミソです。我々からすれば異質な空間ですが、それがテアトロコントを観る人にとっての「普通」であること。たとえば屋根裏ハイツの主催公演では、客席が徐々に暗くなり音楽がだんだんあがっていく、というような開演の段取りはふみません。上演は開場時から地続きに、ぬるっとはじまります。テアトロコントでも同じような演出をすることは出来たかも知れませんが、それは観客にとっての「普通」ではないので、ある種のノイズになってしまう。ノイズが作品に効果するのならばもちろん良いのですが、そうではない場合、イベントの「普通」に従うのが作品を届ける上でベターなことだと思いました。
こうした制約が、自主公演に対していつの間にか生まれていた様々な“呪い”を良い意味で取り払ってくれました。ふっきれた、とでもいうか。暗転ではじまるんだから、もちろん暗転で終わっても良いし、音楽だって使っていい。場面設定はタクシーの車内。タクシーだから客席に正面切って芝居することもヘンではない。タクシーにまるで同乗したかのように、そこで起こることを共に体感してもらうことが重要なのであって、その手段はどうだっていい。
加えて、観客が「笑いたい」というシンプルな目的を持って観に来ているということもまたよかったです。笑いを観に来た観客は、30分の上演のなかで笑えるポイントを積極的に探してくれる感じがありました。同じネタがかかったとしても、通常の劇場で同じ量の笑い声が起きるかというと、答えはノーだと思います。実際、我々の上演でもそこそこところどころ、それは他の上演と比べればささやかでしたが笑いも起こっていました。そしてその上で、普段の劇場公演と変わらない集中力で作品を見てもらうことが出来た。これまで縛られてきた足枷を外したとしても、我々を我々たらしめるものは残る。それは作家として、演出家として、大きな発見でした。
課外活動と親密圏の形成
ある時間を共有し、そこで起こることを共に体感して楽しんでもらう。再三になりますがそれこそが、我々が劇場という装置を使ってつくり続けてきたものでした。そのために、観客と上演の関係を普段よりも少しだけ近づけた親密圏を劇場に仮構してきました。
この2年間、根城であった劇場での上演がままならないなかで、そこでしかできない体験を、あるいはその実現のために積み上げてきた知見をいかにして外に持ち出すことができるのかということを考えざるをえない状況が続いています。去年早々にやったオンラインパフォーマンスや、再演作品で出演者の一人を遠隔で出演させることなんかも、その抗いのなかでの取り組みでした。これだ!という手応えのある適解はまだ見つけられていませんが、最後にそうした、課外活動的な取組みについてお話ししたいと思います。
昨年、Art Support Tohoku-Tokyoの「10年目の手記」という、東日本大震災から10年目にあたっての手記を全国の方から募集するというプロジェクトに、手記朗読の演出という立場で参加しました。朗読はラジオでオンエアされる他、「10年目の手記」のWebページで聞くことができます。どちらのメディアも劇場とは異なり、観客の居方を強いることができません。家事など仕事の片手間に聞いているかもしれないし、電車で移動している最中かもしれない。聞いてる途中で別のSNSで流れてきた動画に気を取られ、途中で止めるかしれない。そういう状況で、耳を傾けてもらわなくてはならない。
とはいえ聞いていただければわかると思いますが、この朗読には、SNSで流れてくる他の動画に気を取られないようにするための刺激的な工夫はありません。あくまで、朗読に耳を傾けてくれた人が最後までそれを聞き届けてくれることを信じてつくられている。聞き手が、俳優の声を通じて、書き手がしたためた思いや光景を想像しようとするとき、朗読と聞き手の間には(我々の)劇場における観客と上演の関係のような、ある種の親密さが生まれる。そうやって親密さが生まれたときに想像が働くような準備を作品に施したつもりです。昨年は短い小説を書く機会にも恵まれましたが、それと同じようなことが言えるかも知れません。ページを繰って文字を追うという能動的な行為をしてくれるものにだけ、小さな想像の窓を開いて準備しておくこと。そもそもあれこれできるほど器用じゃないということもありますが、出力するメディアは異なれど、なにか全く新しいことをやるというわけではなく、準備のしかたも考え方も大きくは違わない、というのがやってみた体感です。能動的に関わろうとしてくれた人に向けて、その能動性を信じて作品になにごとかを託していくこと。
ぐうたらの一年のなかで、これまで小さな劇場で、小さな声で、部屋の中という舞台設定で積み上げてきた技術を、コント、朗読、小説といった様々なメディアや状況に適応させていくことによって、少しずつですが自分のやっていることが外へ開かれているような感覚があります。たとえそのように表現を立ち上げていったとしても、舞台と同一の時間感覚、まるでそこに同じ時間居合わせたかのような体験をしてもらい、そこで生まれるスペクタクルを一緒に発見し楽しんでもらう、という表現の旨味は損なわれないし、むしろ色々な窓を活用することで、その面白みがかえって伝わりやすいものに化けてくれるかもしれません。書いてしまえば当たり前のことなのですが、せかせかと作品をつくっていくなかで、こうしたことを見失っていたのだと思います。
作品を主催し、興行として成立させることの不安は依然として変わらないままですが、イチ作り手としては、こうした課外活動がこれからの制作の力になればいいなとやや楽観的に思っています。もしどこかで作品を観ていただけたら、こんなにうれしいことはありません。
最後に。12月4日、円盤に乗る場活動報告会というイベントで、今年一年、誰に頼まれるわけでもなく書いていた自作の小説をヴォーカリスト・アーティストの田上碧さんに読んでいただきます。これもまた知見を外部に活用する、ひとつの取り組みです。もし良かったら、いらしてください。
【プロフィール】
中村大地(なかむら・だいち)
作家、演出家。1991年東京都生まれ。東北大学文学部卒。在学中に劇団「屋根裏ハイツ」を旗揚げし、8年間仙台を拠点に活動。2018年より東京に在住。人が生き抜くために必要な「役立つ演劇」を志向する。近作『ここは出口ではない』で第2回人間座「田畑実戯曲賞」を受賞。「利賀演劇人コンクール2019」ではチェーホフ『桜の園』を上演し、観客賞受賞、優秀演出家賞一席となる。その他、シアターコモンズ2020にてリーディングパフォーマンス『正面に気をつけろ』(作:松原俊太郎)の演出など、劇団外での演出作品も多数。一般社団法人NOOKのメンバーとしても活動。
https://yaneuraheights.net/
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【インフォメーション】
円盤に乗る場「活動報告会」
日時:2021年12月4日(土)・5日(日)
会場:BUoY(北千住)
□ 演目
4日
・円盤に乗る派「円盤に乗る場プレゼンテーション」(聞き手:渋革まろん)
・辻村優子「役はない。場所がある。」
・中村大地(屋根裏ハイツ) 「引き続き、「父は魚に」(一部)を読む(読んでもらう)」
・田上碧「机があって明るくて広いところ」
5日
・円盤に乗る派「円盤に乗る場プレゼンテーション」(聞き手:山崎健太)
・亜人間都市「不眠のままで立っている」
・「コレクティブについてのアンケート~円盤に乗る派 / 鳥公園 / 亜人間都市 / y/nの場合~」(提案:鳥公園)
4・5日
・日和下駄(円盤に乗る派)「演技で現れるものについて考える WS-演技で何をしているのか」
・立蔵葉子(梨茄子)「黄色は幸福で少しさみしい」