2021-06-11 コラム
#寄稿 #美術 #助成 #ACY

around YOK vol.8「手は今へ伸びていく」山形一生さん

創造都市・横浜を経由して様々なフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちが寄稿するシリーズ「around YOK」。第8回は、アーツコミッション・ヨコハマによる若手芸術家助成2019年度に参加したアーティストの山形一生さん。メディアとイメージの関係を取り扱いながら、写真やコンピュータグラフィクスなどを用いたインスタレーションや映像作品を発表されています。今回、ご自身の近況について書き綴って頂きました。

おめでとう。その一言を一度も言うことなく、私は友人の出産祝いパーティから帰宅しました。思い返せば、はじめから祝いの言葉など言うつもりは無かったのでしょう。一緒に参加していた友人たちが、小綺麗に包まれたプレゼントを渡していたそのとき、自分は何ひとつ持ってこなかったことに初めて気付いたのですから。私は今までどおりに彼の家へ遊びに行く気持ちのままだったのです。彼の子供を目の当たりにしたその時ですら、この物体は一時的な借用物であり、すこし月日が経てば何処かへ居なくなるものと考えていました。何ヶ月かぶりに入った彼の家は、たくさんの子供用品によってパステルカラーで彩られ、圧倒的なまでに他の世界を疎外する空気を放っていました。

思えば一年くらい前から彼は時間をよく気にするようになりました。日が落ちてくると不安げな表情を浮かべるようになります。以前であれば、私たちが集まろうものならば、はじめから約束をしたかのように夜遅くまで一緒に過ごしていたものです。私たちは別れの行為があまりにも下手すぎて、これからやってくる寂しさを希釈するように、幾度となく街を歩き続けていました。それが今では途方もなく難しいことのように思えます。まるで、私だけに変化が訪れておらず、過去に居るかのようです。

つってね、もうあなたはこの文章を読むことを諦めようとしているか、真剣に読むことをやめようとしている頃でしょう。さあ、そろそろスマートフォンで別のことに夢中になりたいなとソワソワしています。もしくは、ああ〜こういう感じ(の文章)ね、と早々に未来予知を完了している頃です。このような友情物語は、エレイン・メイの『マイキー&ニッキー』とか、ガス・ヴァン・サントの『ジェリー』といった名作が容易く想起されるかのようです。今の流行りとは言えませんし、読んでいてこっちが恥ずかしくなってきますね。おいおいなんか始まったぞ!と、読んでいる自分を自然と遠ざけようとします。しまいには、こういった友情を扱う作品は決まって最後に友人を殺してエンディングを迎えるんですから、たまったもんじゃありません。少年漫画とかにもよくありますよね、主人公の親友が敵に操られてしまって、もはや回復の余地はなく、たのむ!おれを殺してくれ!なんて言うんです。このような劇的な行為は、作品分析や評価において救済として解釈され、物語を感動の結末へと牽引する装置としても流通していきます。勝手なもんですね。そしてこれら装置はインターネットミームとして目にすることも増え、むしろそのほうが親しみがあるでしょう・・・シテ・・・コロシテ・・・つってね。楽しい物語を語ったぶんだけ、それに伴った惨劇か揶揄を用意してあげないといけないのです。こういった出来事はもはや「そういうもの」として───時に揶揄しがいのあるものとして───私たちに扱われ始めたのです。

さあ、さっきまでの話は忘れて、もっと今らしく、今のことを話しましょう。現在の私たちの状況をしっかりと把握して、その問題に応答しなければなりません。もしあなたが作家やそういった表現活動を行っているのならば尚更のことです。私たちは「今話すべきこと」を評価していくべきなのです。今を生きる私たちには、こんなにも山積みの問題があって忙しいのですから。昔話なんてくそくらえです。

例えば2020年の4月ごろ、COVID-19による隔離期間に動物を飼育する人々が急増し、アメリカのある動物保護施設では開設以来初めて施設内の動物がゼロになったそうです1。とても喜ばしいことですが、それに対する批判もあります。このような流れは隔離期間においての衝動的な動きにすぎず、収束後にまた動物の収容が増えることになりかねないということです2。そしてインターネットにおける全トラフィックのうち常に15%は猫関連のデータで埋め尽くされているというではありませんか3。2015年でこの数値なのですから、現在に至ってはもはや30%以上と言っても過言ではないでしょう。私たちの大切な今を過ごすためには、動物たちや猫のデータ量は必要不可欠なものなのです。

もちろん猫や動物だけではなく、私たち全員がその共犯関係でなければいけません。みんなで一丸となって各々の今を雄弁に語っていけば、常に今は新しい情報で埋め尽くされ、私たちの今はたくさんの見たことのない情報で埋め尽くされるからです。野菜と同じです。情報もまた、採れたてフレッシュなほどに美味しいわけです。誰かの今が投稿されることによって、あなたの今が充実したものになり、あなたの今を捧げることによって、誰かの今が満たされるのです。

このような今に対する欲動は、近年の技術革新のたびに高らかに歌われるワードにもなりました。未来は今。今すぐあなたの手に。私たちは何かしらに付属される言葉に対して、その距離や時間が近く短いほど良いものとして認識する機会が増えたようです。何かに取り付く暇もなく、次々と新しい出来事を見るには、今は絶好の環境といえます。2018年からGoogleの検索結果も10年より前のものは検索結果から除外されるようになったことですし、とてもスマートになりました。今を害する無駄な検索結果はなくなったのです。時間が経てば経つほどに、過去は今まで以上に遠のいてくれるようになったのです。かつての黒歴史に怯える日々も終わりなのです!もし展覧会やイベントで大失敗してしまっても大丈夫。人々は今に夢中になっているのですから、がんばってアーカイヴしたり過去を残す作業をしなくても良いのです。そういったことは専門家に任せましょう。私たちはまた次の新しい今を供給していけば、確実に人々は見てくれるのですから。もし、そんなの大変すぎると思ってしまったのなら、ご安心ください。映像作家がしばしば行っているショーリールと呼ばれるものを参考にすれば良いのです。かつて発表した内容の中で最もおいしい部分だけを数秒間だけカットアップし、それらを細かくモンタージュして纏めたもので再構成して発表すれば良いのです。なんて発明なのでしょうか。かつて映画監督のミヒャエル・ハネケが言ったように、断片の総和によって物語れば良いのです4。全体像なんて見えなくたっても大丈夫。過去は遠のいていく一方なのですから。誰も覚えてなんかいません。

そうそう、最近はウェブコミックがすごい勢いです。一つの掲載サイトから膨大な量の作品が毎日更新されていますから、飽きる暇もなく次々に鑑賞することができます。私は少女漫画を読むのがたいへん好きでして、死んでしまった恋人が幽霊となって再度出会う話に大変夢中になっています。少女漫画の世界は、しばしば顔の良い人間たちが狂気に満ち満ちた甘い会話を繰り広げるので、とても愉快です。そして彼女たちはこのような会話をします。

君を好きになってから 嬉しくて 苦しくて 愛しくて 寂しくて 心は毎日かき乱されて 元の形には戻らない 変わっていく これが生きるということなんだね 君もわたしも毎日変わっていく もう元には戻らない5

 死んで幽霊となった恋人が、死してもなお心や感情が移り変わっていく様子に対して彼女が放った言葉です。生と死の垣根あれど、その存在が確かに変化しているならば、それは生きていることに他ならないということです。かつての姿に戻せない、還元不可能な状態とは、しばしば美術の世界においても用いられることです。様々な表現方法や形式が跋扈する美術表現において、その表現が絵画なのかそれとも彫刻なのか、定かではない場合があります。どちらかに還そうとしても、従来の表現形式へ還元することができない状態であり、それはもはや還元することは出来ず、それ固有のものである。とか、そんな大層格好の良いことが言われていた気がします。こんな格好の良いことを語ってしまうと、バランスをとるために、もっとくだらない話をしなければなりませんね。

彼と私は大学の頃に出会いました。ですが最初からとてつもなく仲が良いというわけではありませんでした。彼には私以上に仲の良い友人が既におり、私は時折その二人の間に入ったりするくらいのものでした。私も他に大切な友人がいましたから、おあいこです。ですが、ある時から彼の友人は疎遠となり、私と二人になる機会が増えていきました。こうして、私は彼と一対一を共にする時間が増え、多くの時間を共に過ごすようになったのです。誰かが居なくなることで、誰かと誰かの距離は近しいものとなったのです。私たちは多くの時間を共に過ごし、仲を深めていきました。そして近くなれば近くなるぶん、話せないことも増えていくようでした。思えば、彼に子供ができたという話も、私は他の人から知らされました。お互いに、感じていたのかもしれません。

私の誘いに、躊躇いもなく乗ってくれた彼は、今ではきまって「ちょっと待ってね」と、返事を先の未来へと託していきます。彼は新しい命を迎え、膨大な変化の最中にいるに違いありません。彼は、まさに生きているのです。久しく会う人たちから「おめでとう」という言葉が何度も降り注いでいくのでしょう。私もいつか、おめでとうと言ってしまうのかもしれません。すべてが取り繕う間もなく変わっていきます。その変化に気づくのは意外と難しいことです。穏やかな長い坂を歩き続けているとき、歩いている本人がそれを坂だったと気付くことができるのは、ずっと先に進んで後ろを振り返ったときです。ですが、歩いた本人そのものが変わってしまったのならば、自身がその坂を歩いてきたことすら忘れてしまっていることでしょう。

そろそろ本当にスマートフォンが気になってきた頃です。


“空っぽ”になった犬の保護施設で職員が大喜び。新型コロナ禍に里親になる人が急増中
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e9be1c1c5b635d25d6dbce4, 2021年6月に閲覧
ドイツ・コロナ禍のトレンド「ペットを飼う」に待ったをかける動物保護施設の切実な訴えhttps://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/spnoriko/2021/01/post-3.php, 2021年6月に閲覧
インターネットに猫ばかり氾濫する理由https://www.cnn.co.jp/tech/35062887.html, 2021年6月に閲覧
4ミヒャエル・ハネケ『71フラグメンツ』video make, 2007
5椎名うみ『青野くんに触りたいから死にたい, [第44話]かわる』講談社, 2021


【プロフィール】

山形一生(やまがた・いっせい)
アーティスト。東京藝術大学大学院美術研究科絵画修了。インターネット以降における美術、および画像流通とその政治性についてを主題に制作と研究を行う。それらと関連する論考として「水色のぷにぷに – ポストインターネットアート」(Massage, 2019- )、「キャラクターの同一化と引き剥がし」(Vindr vol.6, 2018)など。主な展示として「Pangea on the Screen」複数会場, 2020、「Fasten Your Seat Belt」TAV GALLERY, Tokyo, 2020など。主な受賞として 2018 年に「映像作家 100 -NEWAWARDS」にて大賞など。
http://issei.in/


本記事は2020年に発表された展覧会、Pangea on the screenおよびその論考となるノイズレスに多大な影響を受けて執筆されています。http://pangea.blog/

【インフォメーション】

「Human.Machine.Interaction」
会期:2021年10月7日(仮)
会場:オンライン

関連記事:相対する現実とフィクション――アーティスト・山形一生さんが提示した展覧会とは

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