2021年3月より休館し、大規模な改修工事を行っている横浜美術館では、工事用の仮囲いを使ったプロジェクトが進行しています。正面玄関側には「New Artist Picks: Wall Project」の第2弾としてアーティスト・浦川大志(うらかわ・たいし)さんによる展示「掲示:智能手机(スマートフォン)ヨリ横浜仮囲之図」が開催。
全長52メートルにわたり仮囲いに掲出された5点のプリント作品には、上空から見た横浜美術館や中華街など横浜に関するモチーフのほか、魚やザリガニ、海の風景、仮囲いなどが描かれています。
作者の浦川大志さんと、本展を担当した横浜美術館学芸員の南島興(みなみしま・こう)さんに、今回のプロジェクトの経緯や本作品の意図のほか、アーティストとしての生き方や今後のことについてお聞きしました。後半では、横浜美術館がどのように変わっていくか、紹介していきます。
福岡での高校生時代
――最初に、今回のプロジェクトを担当した南島さんが、浦川さんに作品制作を依頼した経緯を教えてください。
南島:本プロジェクトは、2007年より横浜美術館で行ってきた若手アーティストを紹介するシリーズ「New Artist Picks」の、休館中の特別編になります。掲示場所は美術館内の展示室ではなく、工事用の仮囲いです。その前にはグランモール公園という水と緑の広場があり、公園を挟んだ向かい側にはみなとみらい駅直結のショッピングモール、MARK ISみなとみらいがあります。ショッピングに来る人や公園を利用する人たちにも興味をもってもらえるような作品で、かつ仮囲いを覆うような大きなイメージを作れる人を考えました。そのときに浮かんだのが浦川さんでした。
浦川:自分が住んでいる福岡では展示の機会もよくありますが、関東で声をかけていただくことは比較的少ないのでうれしかったです。横浜での展示は2015年の「黄金町バザール2015」に参加して以来でした。そのとき「もっとこうすればよかった」「次はこうしよう」など考えていたこともあったので、横浜でまた機会をいただけてよかったです。
南島:「黄金町バザール」に参加したのはどのような経緯だったのですか。
浦川:高校を卒業時に福岡のギャラリーで展示をした際に「黄金町バザール」のディレクター、山野真悟(やまの・しんご)さんと出会ったことがきっかけです。
南島:浦川さんがどんな高校生だったのか、美術との出会いも気になります。
浦川:小さいころからよく美術館に行くような環境で育ったわけでもなく、高校は普通科に通っていました。たまたま福岡市美術館に行ったときに、九州派の前衛作家・菊畑茂久馬(きくはた・もくま/1935-2020)さんの回顧展(2011年)で、菊畑さんやその時代のほかの作品を見て、戦後美術に興味を持ちました。そこから美術部に入り作品制作を始めたのです。ただ普通科なので自分で動くしかなく、大学卒業時、よく通っていたカフェ兼ギャラリーに自主企画を持ち込んで「一人卒業制作展」を開催しました。これが僕の初個展です。その展覧会で山野さんのほかにも、たまたま福岡にいらっしゃっていた横浜美術館の学芸員の方々にもお会いできました。
南島:そのときから横浜とつながりがあるんですね。
浦川:僕の人生は偶然に支えられているところはあります。そのギャラリーには、福岡市美術館やアジア美術館の学芸員さんが来たり、キャリアのある作家さんが来たりして、作品を見てもらいました。美術系の学校を出ていなくても挑戦できたのは、福岡のアートシーンという恵まれた環境だったからと思います。
「軽薄さ」を引き受けていく
――今回の作品には横浜に関するモチーフも登場します。どのように作品ができていったのでしょうか。
南島:横浜に関係することで何かできたらというご相談はして、いろいろとブレストしましたよね。向かい側のショッピングモールにはショーウィンドウがあり華やかですので、そこを歩く人は自然とそちらに目が向くと思います。でも「こちらにも面白い壁がありますよ」と見てもらうにはどうしたらいいのかを考えました。
浦川:ブレストの段階では、横浜の開港とそこから発展したまちの歴史などをリサーチし、人やモノ、情報が行き来する意味での「港」をキーワードに、自分が住む福岡との共通性も入れていく、というアイデアもありました。
南島:横浜と福岡は、文化を受け入れていく土地柄に共通点がありますよね。
浦川:ただ、横浜という土地で作品を発表することの誠実さが気になりました。今回展示する場所性を考えたとき、歴史をリサーチしてその一端をきりとり、作品化することが本当に誠実かなと考えたんです。ショッピングや観光で訪れる人も多いこの場所は、「欲望」に対峙できる場所です。一見、欲望に準ずることは「軽薄」な態度かもしれない。でもそれを否定せず、引き受けていくことも重要ではないかと思いました。そして横浜の「観光地らしさ」を追求してみようと思ったのです。
南島:観光客が横浜に求めているのは、その土地の歴史的な事実よりも「軽薄」な横浜のイメージかもしれない。でも、それこそが文化交流を達成させるためには重要で、観光客と同じ視点にたって作品をつくるほうが、外から来た人としては誠実なあり方なのではないか、と考えられたのですよね。
浦川:その通りです。要約をありがとうございます(笑)。
南島:でも「軽薄」とは、通常だとネガティブなイメージのある言葉ですよね。
浦川:「軽薄」を肯定する必要性はあると思っていて。やりたくないなと思ったのは、シリアスなものを「シリアスですよ」と提示すること。シリアスさをそのまま提示しても、その地域には還元されないのではないかと。そうではない方法で、個人として何ができるかと考えたとき、観光客的な態度をポジティブにとらえて肯定してみたいと思ったのです。
南島:それは、欲望を肯定するということでもありますよね。シリアスなものをシリアスに提供することは、欲望を認めず真面目に歴史にふれる態度。それだと現代美術に関心のある人は見てくれるかもしれませんが、多くの人には届かないかもしれない。そうなれば本末転倒です。中華街というモチーフをいれたのも観光を意識されていますよね。
浦川:中華街では、観光資本として過剰な演出が見受けられます。それこそがリアリティがあると思いました。過剰な演出や軽薄さのようなものを仮囲いで再現したのが、本作で意識したことでした。
南島:横浜美術館は、1989年に開催された「横浜博覧会」のメインパビリオンとして開館しました。当時の資料を読むと、横浜博覧会では、まさに日本を代表するテーマパークである東京ディズニーランドとの差別化を図ることがひとつのポイントだったことが分かります*。ある場所に閉じているのではなく、横浜には都市に開かれたテーマパーク、つまり博覧会をつくろうと。それがいまのみなとみらいにつながっていきます。そう考えると、今回の浦川さんのコンセプトは、実はみなとみらいの成り立ちにも沿うものに思えてきました。
*『横浜博覧会 そのデザインとアーバニティ』横浜博覧会協会刊行委員会編、新建築社、1989年、17-18頁
二次元バーコードを描くこと
――浦川さんの絵は、モチーフの内外に見られる複層的に重なったグラデーションの色面も特徴的です。こうしたグラデーションはほかの作品でも取り入れられていますよね。
浦川:もとの絵は3分の1スケールでつくっているのですが、パネルに布を貼りアクリル絵具で描いています。それで、グラデーションの線は太い刷毛で描いています。なぜグラデーションかというと、あいまいさを大切にしたいからです。昨今、特にSNSの世界では、友か敵かのような二項対立的な分断が起こっています。もっとあいまいなものを絵画に描いていきたいと考えたとき、色の区分がわかりづらいグラデーションをはじめました。もちろん、デジタル的なデバイスで使われる質感も表現しています。
――今回二次元バーコードも印象的なモチーフの一つですよね。スマホをかざすときちんと読み取れるようになっています。これまでもモチーフにされていますか。
浦川:二次元バーコードを使うのは初めてで、これも欲望を喚起させるモチーフとして描いたのが一つの理由です。もう一つは、図像でもあると同時に文字情報でもあるという二次元バーコードの性質がユニークだと感じたからです。
南島: 二次元バーコードにアクセスすると、つぶやきのようなテキストがカメラ上に表示されます。リンク先にアクセスするような情報ではないのですよね。何が表示されたかを記録しようとすると、その画面をスクショするしかない……。
浦川:そのテキスト内容には特に意味はなくて、「抽象画みたいなものって正直わからないよね」「今、離れてカメラを向けている?」といった言葉が出てきます。
南島:遠くから見られているような、絵が語りかけているような言葉ですよね。私たちが「見たい」という欲望で近づくと、逆に「見られている」と我に返るような。こうした入れ子の構造は、横浜美術館の仮囲いに、横浜美術館もまた描き込まれている構造にも共通しています。
浦川:絵の中に絵がある、という構造の絵をここ1年くらいよく描いています。これは絵画自身の自意識、見る人の自意識に注目しています。
南島:二次元バーコードを読みとったときに中華街の観光情報や歴史的な解説ではなく、意味のない言葉だった。「私、何を期待していたんだろう」と思ったりもするかもしれません。それは欲望を肯定することにつながりますよね。
浦川:我々は「軽薄」であることに意識高くいよう、というような二重三重にひねくれた考え方かもしれませんね。
福岡での高校生時代、正社員という選択
――最後に、浦川さんのアーティストとしての生き方についてお伺いしたいと思います。週に5日、正社員として働きながら作品制作を続けていると伺いました。両立は大変ではないかと思うのですが。
南島:以前、浦川さんは半分冗談で「僕は日曜画家なんです」とおっしゃっていましたよね。アーティストとしてのキャリアプランを考えるうえで、経済的なこと、現実的な視点もお持ちだなと思っていました。なぜその選択をされたのでしょうか。
浦川:高校2年で進路を決めるころ、「芸大とか受けてみたい」という話を親にしたんです。すると「美術をやりたかったら、ここから通える範囲でやりなさい」といわれて、市内にある総合大学に進みました。それで大学を卒業するときに「東京に出てバイトしながら美術をやりたい」というと「わかった」と。「ただ、生活費や税金など生きていくのにどのくらいのお金がかかるのか、バイトと正社員を比べるとどのくらい違うのか。時間とお金を計算して、そこから判断しなさい」といわれ、企画書をつくりました。それで、やっぱり正社員のほうがいいなと(笑)。
南島:でも、結果としては働きながら描くというスタイルが合っていたのですよね。
浦川:当時からネガティブなものとは考えてはいませんでした。僕が影響を受けた九州派の作家は、別の仕事をしながらアーティストをしている人が多くて、生活者の視点も大事にしていたんです。アーティストは現代社会における諸問題について真っ先に気づいて発表する人たちだと仮定したとき、正社員として社会に揉まれながら作品をつくっていくほうが、諸問題に対する解像度があがっていくのではないかとも思いました。それでスーツを着て出勤するような仕事を選んだのです。いまはこのスタイルを定年まで続けていきたいと思っています。
――お二人は、今後も美術に関わっていくなかで、こうありたいという目標、こうなるといいなという希望などはありますか。
浦川:僕は、重篤なほどに美術が大好きなのです。アイドルの箱推しみたいな感じで、美術がすべて好きで。近現代美術や古典美術に限らず、団体系の公募展、カルチャーセンターの水彩画教室の展覧会なども見に行きます。オークションのカタログを見てマーケットの動向も追いかけています。だから、美術のことはすべて愛情を持って見ているというのが本音です。ただし、何か一つのことに依存していく状態だけは避けたいので、拠点やコミュニティを複数持つ状況を選択しています。たとえば今後、美術業界が変わっていくべきことはきっとたくさんあると思いますが、そこに自分はあまりコミットしていなくて。将来の目標は、田舎でカフェギャラリーをやりたいなと。そんな夢を重ねています。南島さんはどうですか。
南島:美術は、自分にとってはひとつの窓のようなものです。美術を通じて、私たちが生きている世界が、いつもとは違う別の姿に見えたり、いつもとは異なる仕方で生活について考えられるようになったりしますよね。そういう体験が、人が美術に触れたときに楽しいと感じたり、解放感を得たりする根っこにはあると思います。だから、そのための魅力的なひとつの窓として、美術があるようにいろいろな活動をしてきたいです。
PROFIL
浦川大志[うらかわ・たいし](写真右)
1994年福岡県生まれ。2017年九州産業大学芸術学部卒業。ゲームやGoogleマップの空間描写の方法を参照した空間構成、Photoshopやペイントソフトなどのデジタル的な筆致が特徴。近年参加した展覧会に「@sanemasa5x #風景・それと・その他のಠ_ಠ」(MIZUMA ART GALLERY、東京、2022)、「浦川大志 × 名もなき実昌展~異景への窓~」(大川市清力美術館、福岡、2021)ほか。2018年に「VOCA展2018」大原美術館賞受賞。「アートフェア東京2023」(2023年3月10日〜12日)に出品予定。
南島興[みなみしま・こう](写真左)
1994年生まれ。横浜美術館学芸員。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。2021年より現職。全国の常設展・コレクション展をレビューするプロジェクト「これぽーと」主催。旅行誌を擬態する批評誌『LOCUST』編集部。『文春オンライン』「美術手帖」『アートコレクターズ』、そのほかに寄稿。
IMFORMATION
New Artist Picks: Wall Project
浦川大志|掲示:智能手机ヨリ横浜仮囲之図
日時:2022年11月14日(月)〜2023年5月31日(水)予定
場所:横浜美術館前 仮囲い
料金:無料
主催:横浜美術館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)
新しい横浜美術館に向けて
2024年春に再オープンを予定している横浜美術館。どんな美術館に生まれ変わるのでしょうか。今回の仮囲いプロジェクトや今後の計画について、横浜美術館で広報を担当する藤井聡子さんに伺いました。
仮囲いが彩られているのは、横浜みなとみらい21地区で定められた「横浜市魅力ある都市景観の創造に関する条例」「街づくり協議」が関係しています。「New Artist Picks : Wall Project」をはじめ、横浜美術館では改修工事が2021年にスタートして以来、アートワークやデザインを施すプロジェクトを続けてきました。浦川大志さんの作品を展示している「New Artist Picks」は正面公園側ですが、仮囲いの別の面では別のプロジェクト「みんなと、いろいろ、みなといろ」(2022年12月〜)と題された、100人から集めたメッセージを掲示。集められたメッセージのなかには「横浜美術館のない生活は、想像以上に淋しいものでした。リニューアルを楽しみにしています!」「ここはいつもの散歩道、沢山の思い出のある美術館がまたオープンするのを楽しみにしてます!」など美術館の再スタートを待ちわびる声が見られます。2024年の春、美術館はどのように生まれ変わるのでしょうか。
横浜みなとみらい21地区の再開発がはじまったばかりの1989年、横浜美術館は市内初の本格的な美術館として開館しました。日本を代表する建築家・丹下健三が最晩年に手がけた建築でも知られ、石造りのシンメトリーな外観、ファサードの長い柱廊、広々とした吹き抜けのエントランスなどが特徴的です。
「その建物の特徴を活かしながら、展示やワークショップにいらっしゃる方だけでなく、日常的に立ち寄ってみようと思っていただける場所を増やす予定です」と藤井さんは話します。これまであまり通行の多くなかった美術館の西側には、2023年7月にホテルや商業施設が入る「横浜コネクトスクエア」がオープン予定。それに合わせて西側から公園側への通り抜けも増え、両サイドが開かれることで風通しのよい美術館になります。
「実は、当初は美術館内を24時間通行できるようにしたいという計画があったようで、その構想にもあてはまるのです」と藤井さんは言います。竣工から35年の時を経て、先人の思いやまちの文化を引き継ぎながら生まれ変わる美術館。リニューアルオープンまでの休館中にもワークショップやトークイベントも開催しています。
構成・文:佐藤恵美
撮影:大野隆介(特記のないもの)
IMFORMATION
「みんなと、いろいろ、みなといろ」
日時:~2023年5月31日(水)予定
場所:横浜美術館仮囲い
料金:無料
主催:横浜美術館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)
企画・デザイン:ondesign + STGK